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エスプラナード・デ・アンヴァリッド Esplanade des Invalides の北東端に位置する(旧)アンヴァリッド駅舎に見られるパリ市章 (1900) 。
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エスプラナード・デ・アンヴァリッド Esplanade des Invalides の北東端に位置する(旧)アンヴァリッド駅舎に見られるパリ市章 (1900) 。
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パリ市庁舎に貼られているパリ解放 Libération de Paris の60周年記念プレート。
第二機甲師団長のルクレール少将(将軍)はドローヌ隊長 Raymond Dronne にパリ市庁舎への突進を命じた。ドローヌ隊 La colonne Dronne はスペイン戦争でアフリカに逃れていたスペイン共和党員が主体だった。ポルト・ディタリーからパリに入り、オーステルリッツ橋でセーヌ川を渡ってパリ市役所に至った (24 août 1944) 。
道筋に同じメダルが貼られているようだ。
ヴァンドーム広場の改装に伴い街燈柱も改装された。パリの市章もくっきり。
<揺蕩えども沈まず Fluctuat Nec Mergitur >のリボンとレジオン・ドヌール勲章がオーク (永続) と月桂樹 (勝利) のクロスする小枝に懸けられている。帆船の帆は2枚。冠は城壁。
左がリッツ Ritz Paris 、 広場の北東面の西側。Schiaparelli、Dubail、 Louis Vuitton が。
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ヴァンセンヌの森にある共和国防衛(警備)隊 Garde républicaine 騎兵連隊の兵舎前の カルノー公園 Square Carnot に見られる給水栓。3本マストのパリ市章。
手入れの行き届いた公園で、園内からヴァンセンヌ城のドンジョンも見える。
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聖イノサン Saints-Innocents 教会の墓地の壁に作られた水飲み場:ニンフの泉 Fontaine des Nymphes が原型(1549)。その後墓地の移転と市場 Marché des Innocents の設置(1788)、その再編(1860)を経て現在型に至っている。イノサンの泉 Fontaine des Innocents 四方の隅にある合計8体のニンフの足元にパリの市章が見られる。
フランス外務省の鉄柵越しにエッフェル塔とエールフランスの建物(オルリー空港へのターミナル)を見る。
この写真では判別できないが、エールフランスの建物にパリの市章が入っているのはヴェルサイユ方面等へのテルミニ駅:「アンヴァリッド駅舎」として建設された(1900)後に、パリ市に売却された(1937)ため。パリ万博 1900 の名残りの一つ。
10973
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聴覚障害者のための高校フランソワ・トリュフォー Lycée François Truffaut に付けられたパリ市章。20世紀初頭の開校で、レジオン・ドヌール勲章が付いている。
フランソワ・トリュフォー François Truffaut(1932-84)はヌーヴェルヴァーグ Nouvelle Vague を代表するフランス人監督だが、作品の一つ「野性の少年 L’Enfant sauvage(1969)」においてパリの聾啞研究所に送られてきた少年と接する博士の役を自ら演じた。
ドメニル大通りに面した<ドメニル幼稚園 École maternelle Daumesnil>に見られるパリの市章。
マストは3本、上にフルール・ド・リスと城壁の冠のパリ市章が、両サイドにフランス共和国のエンブレムRF を配したペルタ (小楯) の上に置かれている。左にオーク、右に月桂樹の小枝が<揺蕩えども沈まず>のリボンでペルタに結わえられている。
パリ市立幼稚園の表記の下には自由・平等・友愛と。
1889年創立のため、勲章 (1900以降) は付いていない。
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サン・ポール・サン・ルイ教会 Église Saint-Paul-Saint-Louis の裏側の壁面に設けられた (1840) シャルルマーニュの泉 Fontaine Charlemagne に見られるパリ市の紋章。
M.DCCC.XL:1840
(M:1000,D:500,
C:100,L:50,X:10)。
マリー橋の街燈にあるパリ市章に酷似している。
背景は修復工事中の教会。前の道はシャルルマーニュ通り。
壁を彫り込んで彫像を入れた壁龕 (へきがん) Niche 形状の泉。
2016.03.26.
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パリ市立の応用美術学校 École supérieure des arts appliqués Duperré 、エコール・デュパリ École Duperré に取り付けられているパリの市章。
1864年に開校だが、この建物が建築された時 (1911-13) に付けられたと思われる。帆は1枚、レジョン・ドヌール勲章 (1900) が付いている。
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パリ=ソルボンヌ大学 Université Paris-Sorbonne (パリ第4大学) に見られるパリの市章。帆は3枚。
コリント式列柱の上部、左右4個のペルタ (小盾) の左に1642右に1883。
ソルボンヌのシャペル Chapelle de la Sorbonne に眠るリシュリュー枢機卿 (1585-1642) が再改修した年とその再々改修の年 (新ソルボンヌ) だと思われる。
サン=ジャック通り Rue Saint-Jacques に面した部分で、建物の正面は右側のエコール通り Rue des Écoles 。
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ピエール・キュリーを紹介されて研究の場を得たマリー・キュリー Marie Curie (1867-1934) が放射能の実験に打ち込んだ (1894-1904) のが ESPCI Paris ( Ecole Supérieure de Physique et de Chimie Industrielles ) パリ市立工業物理化学高等専門大学 (1882) 。名門グランゼコール。
創立50周年記念の銘板 (1932) にパリの市章がある。頭部に「揺蕩えども沈まず」、底部に「自由・平等・友愛」、サイドに「RF と VP」/ フランス共和国とパリ市。帆は1枚、レジョン・ドヌール勲章と第一次大戦の十字がぶら下げられている。左にオーク、右に月桂樹の小枝。
パンテオン南のカルチェ・ラタン地区の一角で、キュリー研究所、パリ6大学ピエール・エ・マリー・キュリー・キャンパスが近くにある。
セレスチン Célestins に本部のある共和国防衛隊 Garde républicaine のバビロン兵舎 Caserne Babylone に見られるパリの市章。隊員はパリ市章を着けている。
再建された兵舎 (1934) に付けられた紋章 (1935) で、レジョン・ドヌール勲章 Ordre national de la légion d’honneur (左) と第一次大戦の十字 Croix de Guerre 1914-1918 をぶら下げている。
ナポレオン1世が建設を決めた5か所の市場 (1811) の1つMarché des Blancs-Manteaux (1819) の建物に見られるパリの市章。白衣 Blancs-Manteaux は元修道院 (1258) の名。
レジオン・ドヌール勲章 (1900) とその下に第一次大戦の十字 Croix de guerre 1914-1918 が吊るされているので、それ以降第二次大戦前に取り付けられたものと思われる。ブドウやザクロなどの果物は豊穣と市場の寓意だろう。
Fluctuat Nec Mergitur 揺蕩えども沈まず
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共和国広場から放射するシャトー・オー通り Rue du Château d’Eau に面した「労働取引所 Bourse du Travail 」に付けられたパリの市章 (1890) 。Fluctuat nec mergitur 揺蕩えども沈まず
クラシック・ルネサンス様式のこの建物は Joseph-Antoine Bouvard (1840-1920) による建築 (1890) で、コリント式の壁柱で飾られ、時計とパリ市章、フランス共和国のモノグラム RF を載せている。
オスマンが共和国広場を建設する (1879) 前、ここに Château d’Eau (1811) と呼ばれた噴水を持つ広場があった。その名残。
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<ジャンヌ・ダルクの騎馬像>の作者で、アレクサンドル3世橋の右岸一対の橋柱頂部の彫像の作者でもあるエマニュエル・フレミエ Emmanuel Frémiet (1824-1910) がデザインした32の燭台の台座に見られるパリの市章 (1900) 。他に、国鳥である「ガリアの雄鶏」や「ロマノフ皇帝章」もある。
背後にモンパルナスタワー Tour Montparnasse 、エールフランス (左) 、アンヴァリッド (右) が見える。
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フランソワ・クープラン中学校 Collège François Couperin の建物に見られるパリの市章。
帆は一枚、オークが右。レジオン・ドヌール勲章は受章 (1900) 前なので付いていない。
パリの行政区再編 (1860) 前はパリ9区の区役所だった。
Groupe Scolaire の表示があるのは当時 (1898) 中・高一貫校だったからだろう。
フランソワ・クープランFrançois Couperin (1668-1733) はバロックの作曲家。クープラン家はここから西 (左) に程近いサン・ジェルヴェ教会 Église Saint-Gervais のオルガ二ストを200年 (1653から) に亘って代々努めた。
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レンヌ通りとフール通りとの交差点を南にマダム通り Rue Madame を入った所にあるレンガ造りの建物 (マキシミリアン・ヴォックス高校) 、元パリ市立小学校 L’école élémentaire (1891) に見られるパリの市章。写真外の右側にはフランスの国章 (現在パスポートに使用されているもの) が置かれている。
マダム通り (1790:リュクサンブール公園内) のマダム Madame はナポレオンの百日天下を挟んで復古ブルボン朝のフランス王 ルイ18世 (在位 1814-24) の妃マリー・ジョゼフィーヌ・ド・サヴォワ Marie-Joséphine de Savoie (1753-1810) の愛称だった。
今日初めて室温が25度を超えました。和室はまだまだ寒いですが。
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ドベレム通りに面して20世紀初頭に建設されたパリ市立小学校 (現フランソワ・トリュフォー高校) に見られるパリの市章。左に月桂樹 laurier、右にオーク chêne となっている。
レジオン・ドヌール勲章 (1900) がついている。受章後間もなくだったものと思われる。
現ボーマルシェ大通り Boulevard Beaumarchais の<シャルル5世の城壁>を背にしたアンリ4世のフランス広場 Place de France 構想 (1610、王の死で中断、1626一部継続) の内半円道路の名残がドベレム通り Rue Debelleyme だ。8地方の名を付けた放射道路の一部はノルマンジー通り、ブルゴーニュ通り、ブッターニュ通り、ポワト通り Rue de Poitou として現存する。
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サント=トリニテ教会 (1861-67) 裏のトリニテ通り Rue de la Trinité とブランシュ通りとの交差点にある
パリ市立の幼稚園 École maternelle の壁面を飾る大きなパリ市章。
<揺蕩えども沈まず>はシールドの上部にある。
初等教育の無料化等のジュール・フェリー 法で知られる Jules Ferry (1832-93) が初めて教育相(後に首相)となった年が1879年だ。
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強風と山路風が重なって JR 予讃線のダイヤ乱れる。
帰金の時刻を繰り上げ。2泊3日の慌ただしい帰郷となった。
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フランス財務省の建物 Ministère des Finances / Services de la Garantie (1925) にフランスの国鳥であるガリアの雄鶏 Coq gaulois を見つけた。門扉には共和国の勝利を象徴する月桂樹とその永続を象徴するオークの枝・葉があしらわれている。上部に共和国のモノグラム RF がぺルタ (小盾) に乗せられていて、斧付きのファスケス (束桿) は省略されているものの非公式のフランスの国章と思われる。
左にパリの表記と市章、右にリヨンのそれらも見える。時計の下に「平等 égalité」。
通常時には写真を撮り難いのだが、テロの煽りで観光客が少なかったので・・・
フランス革命200周年記念 (1789-1989) でパリ市が設置したもの。
クレオパトラの針 Aiguille de Cléopâtre (1836) と呼ばれるオベリスク (ルクソール・オベリスク Obélisque de Louxor ともいう。) のシャンゼリゼ大通り側に置かれている。
「この広場は1763年に供用開始され、元々は ルイ15世広場 と呼ばれていました。
その後、1792年11月から1795年5月までは 革命広場 と呼ばれ、
1793年1月21日のルイ16世、1793年10月16日のマリー・アントワネット
を含む公開処刑の主会場でした。」
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サン=ルイ島 (左) とオテル・ド・ヴィル河岸、セルスタン河岸 (右) を結ぶマリー橋 Pont Marie (1614-35) に取り付けられた街燈の台座に見られるパリの市章 Blason de Paris 。<揺蕩えども沈まず>の文字、フルール・ド・リス (百合の花) は省略されている。レジオン・ドヌール勲章受賞前のものか?と・・
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パリの市庁舎と前庭の街燈です。3種類のパリの市章 Blason de Paris が写っています。
街燈と門扉の帆は3枚です。今の紋章には「遥たえども沈まず」とあり、帆は1枚です。
中央の壁龕 (へきがん) に置かれた彫像はボキャドールD.Boccador (1465-1549) (ドメニコ・ダ・コルトーナDomenico da Cortona) で、パリ市庁舎 (1533~) の建築家。フランソワ1世の依頼でイタリアから来仏したシャンボール城 (1519-) の元設計者、サン・ユスターシュ教会 Saint-Eustache (1532) の建築家でもあります。
ジュール・ブランシャールによる彫刻です。
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パリの市庁舎 Hôtel de Ville de Paris (1873-92) の門扉のぺディメントに付けられたパリの市章です。帆が3枚で、現在使われているものとは異なります。
正面左右の門扉に在りますが、写真は右側のそれです。
コリント式の柱身の間にラヴォアジェとヴォルテールの像が置かれています。
Antoine Lavoisier (1743-94) は近代化学の父と言われ、酸素の命名者、質量保存の法則の発見者として知られています。ギロチンの露と消えました。
Voltaire (François-Marie Arouet) (1694-1778) は「表現の自由」で知らない人が居ない啓蒙主義、百科全書派の思想家・哲学者です。 Charlie Hebdo の事件
市庁舎は200体を超えるパリの著名人の彫像で飾られています。