depuis 2001
今冬の<ひみ寒ブリ宣言>は11月25日、<ひみ寒ブリ終了宣言>は1月31日でした。
「ひみ番屋街」に行きました (2017.02.18.) が、氷見の寒ブリ (ひみ寒ブリ) の名はどこにもありませんでした。そういえば、金沢の近江町市場でもそうでした。ブランド名を大事にしていることがよく分かりました。昨冬は宣言すらしなかったそうです。仕方なく、氷見の鰤を食べてきました。足湯に浸かって帰りました (泉源67度、足湯45.5度) 。今回も立山連峰は見えませんでした。
depuis 2001
今冬の<ひみ寒ブリ宣言>は11月25日、<ひみ寒ブリ終了宣言>は1月31日でした。
「ひみ番屋街」に行きました (2017.02.18.) が、氷見の寒ブリ (ひみ寒ブリ) の名はどこにもありませんでした。そういえば、金沢の近江町市場でもそうでした。ブランド名を大事にしていることがよく分かりました。昨冬は宣言すらしなかったそうです。仕方なく、氷見の鰤を食べてきました。足湯に浸かって帰りました (泉源67度、足湯45.5度) 。今回も立山連峰は見えませんでした。
depuis 2001
東本願寺金沢別院前の<菜喰 安心院 (あじむ) >で何故か懐かしい<Made in Occupied Japan (占領下日本製) >の表示に出会いました。
いかにも安物の陶器といったコーヒーカップですが、占領下の日本製品の輸出に義務付けられた (1947-49) 表示で、レア物 (1947‐52) ということで人気があるようです。どこで手に入れたのかご主人に聞くのを忘れてしまいました。
サンフランシスコ講和条約 (1952.04.28.) 締結によって日本の主権が回復しました。
depuis 2001
昼食は東本願寺金沢別院前の<菜喰 安心院 (あじむ) >を予約しました。
前回は朝食でしたが、冬場は営業していないというので、昼食にしました。
写真の「八点盛り」とビーフシチュー、御飯、みそ汁、漬物とデザート、コーヒーでした。
スサノオの数字「八」を連想してしまいました。
<参考>
朝食をとった<菜喰 安心院>(さいじきあじむ)。
金沢東別院門前の町家の土蔵部分を使った日本料理店。
出雲のスサノオが北九州を統合し、日向の日向津姫 (イザナギとイザナミの娘で、記紀のアマテラス) と新婚生活を送った「倭国の都」が安心院。市杵島姫 (猿田彦の妻) はここで生まれた。ご主人の生誕地。
depuis 2001
旧加賀藩の「足軽屋敷」です。庭付き一戸建てです。玄関の間 (6畳) 、座敷 (8畳) 、納戸 (8) 、茶の間 (6)と土間の玄関 (6) 、流し (6) と厠 (1) と立派です。初めて見ました。
足軽は武士ではありませんが、時代と共に所謂「侍」でない下級武士の「徒士 (かち) 」並みの待遇を受けるようになっていきました。
depuis 2001
上級武士(所謂、侍)に許された「長屋門」を入って屋敷内から見た長屋門で、仲間部屋 (左) と厩と納屋 (右) になっています。池泉回遊式庭園が付いています。屋敷は残っていませんが、500石の平士 (平侍):高田家を通して窺う武家屋敷の面影です。仲間は食事付きで同居していましたが無給だったようです。
松、梅等の雪吊りに加え、灌木は縄で束ねて雪害を防いでいます。無料で見学できます。
<参考>
赤穂/浅野家筆頭家老大石内蔵助が住んでいた大石屋敷の正面門長屋で、元禄の当時を偲ぶ唯一の建物 (史跡大石良雄宅阯 (大正12年)) だ。昭和53年に全面解体修理された。
depuis 2001
木 (や屋根) からの落雪 (落氷) による損傷を防ぐため、灯籠に<薦掛け>がされています。
前田利家が尾山城 (金沢城) 入城以来廃藩置県まで11代続いた加賀藩士 野村家 (1200石) の庭園です。曲水は横を流れる大野庄用水から引いています。枝折れを防ぐ雪吊り、大雪見灯篭、さくらみかげ石の大架け橋、樹齢400年の山桃の木も見えています。
住家は藩主を招いた豪商の屋敷の一部 (上段の間・謁見の間 1843) を移築したものです。
武家屋敷を見学できるのはここだけということでした (550円)。
depuis 2001
尾山神社は加賀藩主別邸 (金谷御殿) 跡に廃藩置県後に創建されたので、神苑も江戸末期以降の造園とされています。古代舞楽の楽器を模した地泉廻遊式の名園です。曲水は兼六園を流れる辰巳用水から暗渠で導いていたそうです。
灯籠の左に琴柱灯籠、左に石造り3連アーチの太鼓橋が見えています。
明るい日差しが差し込んでいて冬の金沢とは思えない風情です。
depuis 2001
加賀百万石の町/金沢では前田利家公 (1539-99) は絶対です。
加賀藩祖 (と、お松の方) を祭るため、明治維新後 (1873) に創建された尾山神社の神門 (1875) です。擬洋風建築 (かつ、中国風) で、最上階にはギヤマンが嵌め込まれています。尾山は地名で利家入城 (1583) 後暫くは尾山城と称していました。
depuis 2001
今回の宿は金沢在住のI教授に「ホテル金沢 兼六荘」をとっていただきました。
金沢城大手門近くのお堀通り沿いにあり、反対側に「KKRホテル金沢」があります。
隣の浄土真宗本願寺派の金沢別院大谷廟所の<薦掛け>です。土塀が氷結したり、着雪で剝がれたりするのを防ぐために、12月から3月まで竹に結んだ蓆を吊り下げています。
朝9時過ぎで、日が射し青空が覗いています。瓦は独特です。
地元の人もびっくりの好天気に恵まれ、夜には雪も降った2日間の金沢の旅が終わりました。
24219
19/02/2017.
depuis 2001
20年ほど前に氷見の料理屋で食べた寒ブリの色と味は忘れられない。
一昨年の秋は京都から敦賀、福井経由で出かけたが、今回は北陸新幹線を使うことにした。
始発 (6:16) で東京を発ち、明日の終電 (23:32 着) で帰る予定。
金沢駅兼六園口 (東口) 駅前広場と鼓門 (つづみもん) 。22/11/2015
depuis 2001
ぺロポネスの<ステュムパリデス湖畔の森に棲む青銅の羽を持つ怪鳥を殺すヘラクレスHéraklès tue les oiseaux du lac Stymphale (1909)>。
弓を引くヘラクレス Héraclès archer とも呼ばれ、ヘラクレス12の功業 Travaux d’Héraclès の第6 をモチ-フとした作品 (ギリシャ神話) 。
第2でヘラクレスが退治する9つの頭を持つ怪物 ヒュドラー hydre de Lerne のレリーフが見えるが、これは 見えていない第1で退治するネメアのライオン lion de Némée と共にリュクサンブール美術館に納入された第2版で追加されたもの (1923) 。
アントワーヌ・ブールデル Antoine Bourdelle (1861-1929) の代表作の一つで、オルセー美術館にて 05/08/2012。
depuis 2001
アウゲイアース Augias の家畜小屋を掃除するために、ぺロポネス最大の川アルペイオスの流れを岩を穿って引き込んだヘラクレスの<努力 L’Effort (vers 1908)>を表現したピエール・ロシュ Pierre Roche (1855-1922) の作品。ヘラクレス12の功業 Travaux d’Héraclès の5に触発されたとされる (ギリシャ神話) 。
彫像の素材は鉛、岩石は砂岩を焼いた陶器でアレクサンドル・ビゴー Alexandre Bigot (1862-1927)の作品。
リュクサンブール公園に置かれているオルセー美術館所蔵作品。
depuis 2001
ガリエラ美術館 Musée Galliera になっているガリエラ宮殿 Palais Galliera の庭園部分はブリニョル・ガリエラ公園 Square Brignole Galliera として開放されている。
<4月の泉 Fontaine de l’Avril(1906)> は象徴主義の彫刻家ピエール・ロシュ Pierre Roche (1855-1922) の作品。被っている大きな帽子は1900年のエスプリを表しているという。
16/08/2013
depuis 2001
アールヌーヴォーの建築家ジュール・ラヴィロット Jules Lavirotte (1864-1929) が陶磁器製作のアレクサンドル・ビゴー Alexandre Bigot (1862-1927) と共同で建築したセラミックホテル Ceramic Hotel 。
砂岩を焼いた陶板と陶芸彫刻家の Camille Alaphilippe (1874-1934) のそれを使用したアール・ヌーヴォー建築で、パリ市のファサード・コンペに勝利した作品。
一階に、建築家 Lavirotte (中央) と共に Grès Bigot (炻器 (せっき) : 砂岩製の陶磁器 : ビゴー) (左) 、彫刻家 Alaphilippe の名が刻まれている。
凱旋門からワグラム大通りAvenue de Wagramを下った右側。
depuis 2001
建築家アナトール・デ・ボドー Anatole de Baudot (1834-1915) が鉄筋コンクリートを使用して建てた教会、サン・ジャン・ド・モンマルトル Église Saint-Jean-de-Montmartre (1894-1904) のファサードです。新工法とあって議論噴出、10年を要しました。
表面はレンガ造りにセラミックでアール・ヌーヴォー風に装飾されています。アレクサンドル・ビゴー Alexandre Bigot (1862-1927) の作品です。
キリストのモノグラム、クリスム Crisme : XP が見れます。
彫刻はピエール・ロシュ Pierre Roche (1855-1922) の作品です。
メトロ 12号線 アベス Abbesses 下車すぐ。
depuis 2001
写真の奥に「思い出横丁」の看板が見えるが、「しょんべん横丁」で通っていたようだ。戦後の闇市の名残で、新宿界隈の学生が重宝していたと先輩から聞いたことがある。
右側に総武線、山手線、中央本線、埼京線が走っていて、突き当りは新宿大ガード、青梅街道だ。
青梅街道は新宿・追分で甲州街道と分岐し、甲府で再び合流する「甲州裏街道」だった。
depuis 2001
ヴァンセンヌの中心広場 (多目的広場) であるエグリーズ広場 Place de l’église です。
新年を祝う行事はこの広場で行われます。舗装に見られる錠穴は週3回 (火・金・日) 行われる朝市のテント用や電源・水道用 (写っていない) のもの。朝市前日の午後から用意が始まり、当日の午後には撤去されます。この日は水曜日だったので支柱は立っていません。
教会手前の樹々の幹が色鮮やかに飾られていたので写してみました。手前左の Sapin de Noël は花屋さん fleuriste の MONCEAU FLEURS の店頭です。 14/12/2016
depuis 2001
モンパルナスにある「ブールデル美術館 Musée Bourdelle」の玄関 entrée に置かれているのはブールデルAntoine Bourdelle (1861-1929) が裸の女性を解剖学的に研究した作品として有名な<Le Fruit (1902-06) >の一つです。庭に置かれているフルーツを持った全身像とは違って、女性の<胴体と小さな髪の頭部 Le Fruit, buste et tête avec petite coiffure (1911)>の彫像です。
力強くて迫力のあるブールデルの作品とは一味異なる優美さが感じられて好きな作品です。
depuis 2001
「恵比寿ガーデンプレイスひろば」を上がったところの広場です。正面に「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」の入っているシャトー Château があります。後方左はウェスティンホテル東京。前方ではオリーブの樹が大きく育っています。
左にブールデル Antoine Bourdelle (1861-1929) の作品<果物 Le Fruit (1902-06)>が置かれています。彼が裸の女性を解剖学的に研究した作品として有名です。
depuis 2001
2.4haの複合市街地として整備された (2016) 新宿ガーデンと西戸山タワーホームズ (1988) です。
左が新宿ガーデンタワー (37F : 150m) 、右にスカイフォレストレジデンス (25F) 、写っていない右側地下に帰宅困難者の一時滞在に開放されるイヴェントホール:ベルサール高田馬場があります。
中央に見える西戸山タワーホームズ (25F) は「中曽根民活」第1号として建築されました。磯崎新の設計です。
depuis 2001
恵比寿ガーデンプレイスの「恵比寿ガーデンタワー」のスカイラウンジから新宿方向を展望しました。
中央真下が JR 山手線の恵比寿駅です。一番奥に新宿の超高層ビル群 (新宿パークタワー (235m) 、東京都庁 (243m) 等) が見えていて、その一番左に東京オペラシティ (54F : 234m) 、右に代々木駅前の NTT ドコモタワー (239m) 、その右に歌舞伎町の旧コマ劇場跡の新宿東宝ビル (30F : 130m) 、右端に最近高田馬場に完成した新宿ガーデンタワー (37F:150m) です。西戸山タワーホームズ (25F) はその間です。
depuis 2001
恵比寿ガーデンプレイスの中央広場手前からの風景です。3ツ星レストラン<ガストロノミー ジョエル・ロブション>等の入るシャトー Château とその奥にウェスティンホテル東京。広場の右側に恵比寿ガーデンプレイスタワー (40階建て、地下5階) 、左側に恵比寿三越店です。 ジョエル・ロブション Joël Robuchon (1945-) は有名なフランス人シェフです。
<恵比寿ガーデンプレイス>はエビスビールの工場跡地の再開発事業として (旧) 住宅・都市整備公団が設計・施工しました (1991-94) 。奥に見える2棟の住宅棟の右側にUR の賃貸住宅棟のUR 都市機構恵比寿ビュータワー (32階建て) があります。
depuis 2001
昨日は朝からポカポカ陽気でした。昼食がてら久しぶりに恵比寿ガーデンプレイスに出かけました。山手線で10分です。テレビでも紹介された<鮨たか (下高井戸旭鮨総本店) >の期間限定 (2月末まで) 女性限定のランチメニュー/初景色 (30食限り) とインドマグロ2貫を注文しました。干支の酉の後ろにホタテとアナゴが隠れています。これにシジミの味噌汁が付いて税込み1620円、マグロのトロは創業90周年を記念して1貫90円 (消費税込みで97円) でした。
depuis 2001
ヴァンセンヌの東西軸 Rue du Midi と南北軸 Avenue du Château との交差点の石畳舗装の状況です。
市街地改造計画 Projet de Ville / Centre-Ville 第一期 Phase 1 の工事です。17/02/2012
いずれも車両の通行を禁止、南北軸を走るバスは臨時の迂回ルートを通ります。
駐車帯を含めて4車線だった南北軸を2車線に狭め、その分を歩道の拡張 (一部を駐車帯) に充てます。メインのショッピング街の東西軸は3車線を1車線とし大半が歩道の拡張に充てられます。
depuis 2001
ディズニーランド・パリのホテル、Disneyland Hôtel のロビーに置かれていたクリスマスツリー Sapin de Noël です。08/12/2016
RER A線で Marne la Vallée Chessy (Parc Disneyland) 行き (A4線) に乗車し終点で下車。
ヴァンセンヌ Vincennes からは直通で行けます。この日の帰りはSaint-Germain-en-Laye 行き (A1 線) に乗り、ヴァンセンヌで降りずに終点のサンジェルマン=アン=レー まで足を延ばしました。
depuis 2001
ヴァンセンヌの中心を南北に貫くシャトー大通り Avenue du Château です。パリ大通り Avenue de Paris に面するヴァンセンヌ城の正門:村の塔 Tour du Village から真っ直ぐ北方向のメイン道路で、両方向のバス通りです。クリニャンクール Clignancourt 行きのバス 56 はここを通ります。
左 (東) 側には随所に駐車帯がありますが右側にはありません。右端に映っているのはブラッスリー Le Saint Louis で、ヴァンセンヌ所縁のサン・ルイ (ルイ9世) の名を付けています。
メトロ 1号線 Château de Vincennes の駅はパリ道に出て左側です。 01/04/2016
depuis 2001
RER A線のヴァンセンヌ駅前広場 Place Pierre Sémard からミディ通りを見たところです (2016.04.01.) 。改造前 (下の写真) の車道左右の駐車帯が歩道の拡幅に充てられました。街燈も撤去されて壁掛け式に代わりました。車道の舗装は石畳に、歩道はタイル張りになりました。歩行者重視の街づくりに転換したことが分かります。
シャトー大通りからこちら側への一方通行に変わっています。看板等の広告物や標識も少なくなってすっきりしています。
改造計画 Projet de ville / Centre-Ville 前のミディ通りです (2008.08.13.) 。
土曜日の午後は歩行者天国になっていました。