私の撮ったホワイトクリフ White Cliffs of Dover

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ドーヴァーの浜辺の遊歩道 ウォータールー・クレッセント Waterloo Crescent 辺りから見えるドーヴァーの白い崖 White Cliffs of Dover 。崖下はフランスのカレー Calais とダンケルク Dunkerque とを連絡するフェリーが発着する「新ドーヴァー港」。
崖の上はドーヴァー城 Dover Castle の南端で、海峡と大陸を望む展望台が見えている。
Waterloo Crescent House に宿泊した。クレッセントは「三日月」の意で、フランス語ではクロワッサン croissant 。
ウォータールーはワーテルローのことで、ナポレオン1世をワーテルローの戦い (1815) で破ったウェリントン公 Arthur Wellesley (1769-1852) はドーヴァーから大陸に渡り、帰還した。ロンドンのウォータールー橋 (哀愁) もその戦勝に名を由来する。

White Cliffs of Dover / Dover

来夏のパリ行きの手配が昨日終わりました。

旧ドーヴァー港 と ホワイトクリフ

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流れ込む土砂対策に明け暮れながら、帆船で賑わった「旧ドーヴァー港」の今。マリーン基地や修理ドックとして利用されている。
現港は左の海側に拡張して移動し、 AIDAsol (71,300 GT ) 等の豪華クルーズ船の停泊埠頭になっている。Spirit of Britain や Spirit of France (49,000 GT ) 等の海峡横断フェリー (嘗ては列車ごと大陸と行き来していた) は東側 (写真のずっと右側) の新港に移されている。
ドーヴァー周辺海岸線の白い台地はホワイトクリフ White Cliffs と言い、フランス側も同じ白亜地層。古は地続きだったとされる。また、白いを意味するアルビオンはブリテン島の古名。

Ancient Dover harbour / Dover

ドーヴァーの時計塔 Dover’s Clock Tower

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パリに比べるとイギリスの町では時計が目に付く。この時計台 Clock Tower はドーヴァーのランドマークの1つだ。
今はプレジャーボート等の係留地になっている嘗ての港の土砂排除のために設置した水門の両サイドに制御施設を収容する上屋として建設された (1830) のが始まり。
船舶の大型化等に対応して解体・再建され (1877) 、プリンスオブウェールズ埠頭建設に伴い現位置に移設された (1890) 。

Clock Tower / Prince of Wales Pier / Dover

ドーヴァー海峡横断水泳の記念碑

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オランダの東インド会社への処女航海で遭難した「アムステルダム号」の例を挙げるまでもなく、英仏海峡は古来航海の難所だった。
ドーヴァー海峡は横断水泳 Cross Channel Swimming の難コースとしても有名。その記念碑 (1992)。Ray Smith (1959-) の作品<波頭 On the Crest of a Wave>。
二方向 (カレーとドーヴァー) へ波頭に向かって泳ぐ泳者。海の部分はこの地方特産の白いポートランド石で、その上の泳者には濃緑のスレートが使われている。
背景はドーヴァー城のあるホワイトクリフとドーヴァーのフェリー港 (カレー、ダンケルク) 。

ドーヴァー海峡横断水泳の記念碑 / ドーヴァー

ライフル大隊 の慰霊碑と ドーヴァー城

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イギリスの東インド会社によるインド統治下で起こったインドの大反乱 Indian Mutiny (セポイの乱) の収束に貢献した「王のライフル大隊」の犠牲者 (1857‐59) のための慰霊碑 Rifles Monument (1861) 。
新式のエンフィールドライフル (1853) の訓練はドーヴァーで実施されていたが、勃発した反乱鎮圧のためインドに派遣された。この乱を契機として、本国政府の直接統治が始まる (1858王室統治、1877 インド帝国成立 ) 。
Rohilcund Campaign (1858)は Rohilcund、Delhi、Oude 付近での戦い。
丘の上にドーヴァー城 Dover Castle 。ローマ侵攻時の灯台に始まり一貫して防衛の拠点。

Rifles Monument / Dover Castle / Dover

  パリへ出かけました。26-30/09/2017。

秋の気配 ススキとマンジュシャゲ

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秋の気配 ススキとマンジュシャゲ

 

ヤハズススキ (斑入りのススキ) と白のヒガンバナを活けました。
この夏訪れたドーヴァー ( 海峡 ) で拾ってきた小石を組み合わせてみました。
金沢「中島めんや」(1862) の加賀人形<加賀八幡起上り>。

屏風には李白の七言古詩「南陵にて兒童と別れ京に入る」。

李白と玄宗皇帝と楊貴妃

18/09/2017

パリの市章/ヴァンドーム広場の街燈柱

ヴァンドーム広場の改装に伴い街燈柱も改装された。パリの市章もくっきり。
<揺蕩えども沈まず Fluctuat Nec Mergitur >のリボンとレジオン・ドヌール勲章がオーク (永続) と月桂樹 (勝利) のクロスする小枝に懸けられている。帆船の帆は2枚。冠は城壁。
左がリッツ Ritz Paris 、 広場の北東面の西側。Schiaparelli、Dubail、 Louis Vuitton が。

Blason de Paris / Place Vendôme

エッフェル塔百態 144 セイヨウボダイジュの並木

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写真に写るほどに疎らで大粒の俄雨に煙るエッフェル塔。チュイルリー公園のテラス・デュ・ジュ・ド・ポーム Terrasse du Jeu de Paume の一角から。  25/07/2017.
公園のテラスを取り巻くのは全てセイヨウ (ナツ) ボダイジュ Tilleul à grandes feuilles の並木で手前にその葉と実が写っている。
エッフェル塔の足元はマロニエの並木で、コンコルド広場の向こう側になる。

Tour Eiffel / Terrasse du Jeu de Paume / Jardin des Tuileries / Tilleul à grandes feuilles

 

鳥を捕らえた猫 / 国立ピカソ美術館・パリ

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ピカソ美術館 Musée National Picasso-Paris で見た<鳥を捕らえた猫 Chat saisissant un oiseau (1939)>。その頃、パブロ・ピカソPablo Picasso (1881-1973)は「ゲルニカ」を描いた (1937) グラン・オーギュスタン通り Rue des Grands-Augustins のアトリエに住んでいた。スペイン国籍とはいえ大戦中占領下のパリに滞在し続けた。
01/04/1939 にはスペインでフランコの独裁政権が樹立。この絵は 22/04/1939 に描かれた。

Chat saisissant un oiseau / Pablo Picasso / Musée National Picasso-Paris

今日は故 ROSE の月命日。

ギャラリー・イグレック の花々 224 ランタナ

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国際自然保護連合が「世界の侵略的外来種ワースト100」に指定している中南米原産の<ランタナ Lantana>が侵入してきました。「コンフェッティ」というランタナ・カマラの園芸品種のようですが・・シソ目クマツヅラ科シチヘンゲ属。
以前定着していたつる性の<コバノランタナ>は駆逐して今は見られません。

ランタナ・カマラ / Galerie Y.

TWILIGHT EXPRESS 瑞風 MIZUKAZE

JR 岡山駅の松山方面行ホームからJR 西日本の豪華寝台列車「瑞風 MIZUKAZE」。
京都発(9月13日)新大阪着(9月15日)、山陽線と山陰線を巡る2泊3日のコース。
後楽園を4時間弱観光して17:30頃の出発に合わせて入線してきたところ(右:下関で、最後尾車両)。2名一室だと、約50~125万円/人 掛かるらしい。

TWILIGHT EXPRESS 瑞風 MIZUKAZE / JR 西日本 / JR 岡山駅

台風15号の影響がありました。17:30頃から20:30分頃まで風雨が続きましたが、ダイダイの木が倒れた以外特にどうということはありませんでした。

パリで 絵が明るくなった ゴッホ/ゴッホ美術館 を更新しました。

パリの市章 / カルノー公園 / ヴァンセンヌの森

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ヴァンセンヌの森にある共和国防衛(警備)隊 Garde républicaine 騎兵連隊の兵舎前の カルノー公園 Square Carnot に見られる給水栓。3本マストのパリ市章。
手入れの行き届いた公園で、園内からヴァンセンヌ城のドンジョンも見える。

Blason de Paris / Square Carnot / Bois de Vincennes

サン=シュルピス教会 の 「ジャンヌ・ダルクの立像」

Statue de Jeanne d’Arc / Église Saint-Sulpice

 

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サン=シュルピス教会  Église Saint-Sulpice の Chapelle Sainte-Jeanne d’Arc に置かれている<ジャンヌ・ダルクの立像 Statue de Jeanne d’Arc>。
肉眼ではステンドグラスは綺麗なのだが像が見えないので、露出過度にした。
台座には古綴りで  Jehanne Darc と記されている。

バルテュス Balthus 展 / 夢みるテレーズ : 追加再掲

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上野の森恩賜公園にある東京都美術館で<バルテュス Balthus 展>を鑑賞しました(2014)。

「称賛と誤解だらけの、20世紀最後の巨匠。」とあります。

バルテュスは2001年に亡くなりましたが、
節子夫人が自らが所持する作品に加えて、メトロポリタン、ポンピドーセンター、ハーシュホーン博物館と彫刻の庭、ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館等の所蔵作品や個人所有の作品を集めて所縁の日本で企画したものです。

ポスターに使われている作品は、メトロポリタン美術館所有の<夢みるテレーズ Thérèse Dreaming (1938)>で、モデルは6区のクール・ド・ローアン Cour de Rohan で隣人だった失業者の娘テレーズです。
「少女とはこの上なく完璧な美の象徴なのだ」…そのモデルとして最初の少女で、
同種の構図で<少女と猫>という作品もあります。

バルテュス Balthus 展 / 夢みるテレーズ
バルテュス Balthus 展 / 夢みるテレーズ

節子夫人の前の前、最初の妻ワトヴィル Watteville をモデルにして描いた<白いスカート 1937>は無かった。

追補:11/08/2017

<パリ市立近代美術館>で開かれたドラン バルテュス ジャコメッティ 展で再び鑑賞する機会があった2点を紹介しておきます。ワシントンとロッテルダムから日本へ、パリへ・・。

Balthus / Les Beaux jours (1944-1946) / Hirshhorn Museum and Sculpture Garden, Smithsonian Institution, Washington, DC, Gift of the Joseph H. Hirshhorn
Balthus / Les Joueurs de cartes (1968-73) / Museum Boijmans Van Beuningen, Rotterdam

モンマルトルの三叉路 / La Bonne Franquette

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La Bonne Franquette (Rue Saint Rustique ) はベルエポックの時代(1879‐1914)にはロートレックやピサロ、セザンヌ、ルノワール、モネ等の画家たちの溜まり場だった。
ゴッホで名を残す画材商「タンギー爺さん」はモンマルトル丘すそのクローゼル通り Rue Clauzel から徒歩で通っていたという。
Galerie Butte Montmartre (Rue Norvins にも面す) は著名なポスターをお土産として手に入れるには便利。
ソル通りRue des Saules を La Bonne Franquette に沿って右折すれば左に「モンマルトル博物館  Musée de Montmartre」 。

La Bonne Franquette / Galerie Butte Montmartre / Montmartre

今日夕刻には川之江です。

オーク chêne とパルム palme /ラスパイユの顕彰碑

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ラスパイユ大通り Boulevard Raspail の基点ダンフェール=ロシュロー広場に置かれた「ラスパイユの顕彰碑」。本体は供出されて台座のみだが・・
オーク chêne は「永続」、パルム palme は「勝利・喜び」を寓意し、功績が不滅であることを国が示す。                                                                                    29/07/2011.
François-Vincent Raspail (1794-1878) は化学者・植物学者で政治家。ルイ・ナポレオン・ボナパルトが圧勝した第二共和政大統領選(1948)に社会主義で立候補。
RER B 線でダンフェール=ロシュローから3つ目のアルクイユのラプラス Laplace 駅近くに邸宅と薬局工場を構えていた(邸宅と1880年頃の工場が現存)。不眠に悩まされていたゴッホVincent van Gogh (1853-90)に樟脳枕を勧めた記録がある。

Monument à François-Vincent Raspail / chêne et palme / Place Denfert-Rochereau

 

ノートルダム大聖堂の<美しい神 Le Beau Dieu>

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Statue du Beau-Dieu / Cathédrale Notre-Dame de Paris

パリのノートルダム大聖堂 Cathédrale Notre-Dame de Paris (1163-1345) 正面入り口中央の中柱 Trumeau はアミアンの<美しい神 Le Beau Dieu>、救世主キリストの像。獅子(右足)とドラゴンを踏み付け、右手は祝福の手付き。左手に聖書、衣装は長いチュニック Tunique 。
Eugène Viollet-le-Duc の図面を Victor Geoffroy-Dechaume (1816-92) が彫刻した。
扉の上の破風/ティンパヌム Tympanum/Tympan は<最後の審判>がテーマ。
魂の公正さを量る天秤を持つのは大天使ミカエル。
ティンパンの中央は祝福ポーズの復活したキリスト、左端の聖母マリアと右端の洗礼者ヨハネがとりなし/デイシス Déisis のポーズ、間の天使はキリスト受難のアルマクリスティ Arma Christi である槍と十字架の釘(左)、十字架(右)を持つ。

グルヌイィエルの堤 / セーヌ川 2

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クロアジー=シュル=セーヌ Croissy-sur-Seine の町を流れるセーヌ川右岸の<グルヌイィエルの堤 Berge de la Grenouillère>はサイクリング、ジョギング、散歩の人達がひっきりなしに行き交う。
左がセーヌ川 La Seine で右側の河岸には豪邸が連なる。上流の「印象派の島 Île des Impressionnistes 」から連なるセーヌ川の中洲との間の右派流も印象派の画家達の興味の対象だった。この位置でピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir (1841-1919) は<ラ・グルヌイィエル La Grenouillère (1869)>を描いた。

Berge de la Grenouillère / Croissy-sur-Seine / Pierre-Auguste Renoir

エッフェル塔百態 143 パリ装飾美術館

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パリ装飾美術館前のカルーゼル公園 Jardin du Carrousel からのエッフェル塔。
右のパラソルはパリ装飾美術館のレストランのテラス
庭園の中央に見える2体の彫像はいずれもマイヨール Aristide Maillol (1861-1944) の作品で、手前が<痛み Douleur (1912)>、奥が<エアー L’Air (1938)>。
街燈のラインがカルーゼルの凱旋門(左方)からコンコルド広場に至るサントラル通り Allée Centrale 。

Tour Eiffel / Musée des Arts Décoratifs / Jardin du Carrousel

パリの建物 34 パリ装飾芸術美術館

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パリ装飾芸術美術館 Musée des Arts Décoratifs はルーヴル宮のマルサン翼 Aile de Marsan に入っている。カルーゼル公園 Jardin du Carrusel からレストラン Loulou (12時から2時) のテラス越しに見た。
バルコニーのある2階、左5体の壁龕:ニッチ Niche 中央の彫像はピア・ロイソン Pierre Loison 作のヴィーナスVénus (1865) 。その上(3階)にモーゼ Moïse (1878) 、その左にシャルルマーニュ Charlemagne :  カール大帝 (1878) 、いずれも女流彫刻家でマダム・ベルトーと呼ばれたエレーヌ・ベルトー  Hélène Bertaux (1825-1909)による浅浮彫の作品。

Musée des Arts Décoratifs / Jardin du Carrusel

ラスパイユ城 Château Raspail / Cachan

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RER B 線の Arcueil-Cachan から徒歩圏のラスパイユ公園 Parc Raspail 。ラスパイユ城跡だ。アルクイユ=カシャンの水道橋 Pont aqueduc d’Arcueil-Cachan が至近。
現在のシャトーは古くからの建物の上に18世紀末から19世紀初頭にかけて建造された。
化学者・政治家だったラスパイユ  François-Vincent Raspail (ラスパイユ大通り)の息子で、アルクイユの市長やセーヌ県の議員だったベンジャミン・ラスパイユ(1823‐99)の所有だった。

Château Raspail / Parc Raspail / Cachan

エルメス本店屋上の騎馬像

24 Rue du Faubourg Saint-Honoré / HERMÈS

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馬具工房から始まった(1837)エルメス HERMÈS が工房を遷した(1879) 

 

 

 

イギリス領ヴァージン諸島のsvg

パリの市章/イノサンの泉 Fontaine des Innocents

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聖イノサン Saints-Innocents 教会の墓地の壁に作られた水飲み場:ニンフの泉 Fontaine des Nymphes が原型(1549)。その後墓地の移転と市場 Marché des Innocents の設置(1788)、その再編(1860)を経て現在型に至っている。イノサンの泉 Fontaine des Innocents 四方の隅にある合計8体のニンフの足元にパリの市章が見られる。

Blason de Paris / Fontaine des Innocents / Place Joachim-du-Bellay

シェファーによる「フランチェスカ・ダ・リミニ」2

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フランチェスカ・ダ・リミニ Francesca da Rimini (1255-85) はイタリアのラヴェンナ領主の娘。リミニ領主に嫁がされるがその弟パオロ Paolo Maratestaと恋に落ちたすえに夫に殺される。
ダンテ・アリギエーリ Dante Alighieri (1265-1321) は「神曲」地獄編でこの悲恋を取り上げたが、ロマン派の巨匠 アリー・シェファー Ary Scheffer (1795-1858) はこれを絵Francesca da Rimini (1835)>にした。フランチェスカとパオロを陰で見るダンテとローマの詩人ヴァージル Virgile / ウェルギリウス 。
ルーヴル美術館所蔵の下の絵は1855年ヴァージョンで、<Les ombres de Francesca da Rimini et de Paolo Malatesta apparaissent à Dante et à Virgile (1855) >と名付けられている。日本では<パオロとフランチェスカ>というらしい。05/12/2010.

Les ombres de Francesca da Rimini et de Paolo Malatesta apparaissent à Dante et à Virgile / Ary Scheffer / Musée du Louvre

シェファーによる「フランチェスカ・ダ・リミニ」1

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フランチェスカ・ダ・リミニ Francesca da Rimini (1255-85) はイタリアのラヴェンナ領主の娘。リミニ領主に嫁がされるがその弟パオロ Paolo と恋に落ちたすえに夫に殺される。
ダンテ・アリギエーリ Dante Alighieri (1265-1321) は「神曲」地獄編でこの悲恋を取り上げたが、ロマン派の巨匠 アリー・シェファー Ary Scheffer (1795-1858) はこれを絵<Francesca da Rimini (1835)>にした。フランチェスカとパオロを陰で見るダンテとローマの詩人ヴァージル Virgile / ウェルギリウス 。
ルーヴル美術館にもある(1855 ヴァージョン)が、これは最初のヴァージョンで、ロンドンの「ウォレス・コレクション The Wallace Collection」で見れる。
見事な額縁は彫刻家フェリシー・フォーボー Félicie de Fauveau (1801-86) によるデザインとされている。
彼女に触発された作品に同名のチャイコフスキーの幻想曲、ロダンの彫刻(接吻)等がある。

Francesca da Rimini / Ary Scheffer / Félicie de Fauveau / The Wallace Collection

パリの鉄柵 48 パンテオン

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Grille du Panthéon / Saint-Étienne-du-Mont / Panthéon

 

パンテオン Panthéon を取り囲む鉄柵越しにサンテティエンヌ・デュ・モン教会  Saint-Étienne-du-Mont  を見たところ。

柵外側のパンテオン広場に建築用の石材やマスカホン Mascaron 等による造形と劇作家 ピエール・コルネイユ  Pierre Corneille (1606-84) の像の一部が見える。

パンテオン広場での造形とルソーの立像

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パンテオン広場 Place du Panthéon の両サイドにこの程(7月)出現した造形の右側部分。
建築素材の花崗岩と木材に建築物の魔除け/マスカホン Mascaron を組み合わせて、この空間の休息、イヴェント等自由な多目的利用を期待したものらしい。
左の建物がパンテオン、元からあった立像は「社会契約論」や「エミール」で知られ、パンテオンに眠る哲学者ジャン=ジャック・ルソー Jean-Jacques Rousseau (1712-87)。

Place du Panthéon / Statue de Jean-Jacques Rousseau