パリの街燈 réverbère 42  オペラ・ガルニエ

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オペラ座 Opéra Garnier の照明は多種あるが、ここで紹介するのは吻側柱型の街燈。
コンコルド広場に置かれているヒットルフの吻側柱型街燈に類似しているが、攻撃用船首である吻側を3方向に配してその上に街燈を載せている。
アンティウムの戦い (BC338) での勝利を記念して、戦利品として持ち帰った戦艦の船首: ロストラ Rostral を演壇としたというローマの故事に起源する。ボルドーの吻側列 Colonnes rostrales

Réverbère de Opéra Garnier
Réverbère de Opéra Garnier

ダリ Dali が ガラ Gala に捧げた<ウイリアム・テル>

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ダリ Salvador Dali (1904-89)の作品<ウイリアム・テル>は、冒涜的作品とされた「聖心の発表」と「ガラとの不倫」に激怒して勘当した父親への復讐として制作した (1930) とされる。
頭に乗せたリンゴを射ることで息子の命を危険にさらしたスイスの英雄を、息子の人生に侵入してきた人妻に激しく反対し、去勢コンプレックスを引き起こした父親に重ねた。

Guillaume Tell / Salvador Dali / Musée National d'Art Moderne
Guillaume Tell / Salvador Dali / Musée National d’Art Moderne

つまり、息子が惚れ込んだ人妻ガラ Gala の性的魅力と息子ダリの欲望をコントロールしようとする父親としての強い意志を持つ父親をウイリアム・テル Guillaume Tell ( 左足脛に表記:写真では解読できないが) で表現。ピアノでロッシーニ作の歌劇 ウイリアム・テルを暗示、演奏者はライオンである父。
ウイリアム・テルが石碑を膝で押さえ、鋏を持ち (去勢) 父親らしさ (男根) を見せびらかせていて、石碑 (墓碑) にはガラと切り取ろうとしているダリの男根を描いている。
ピアノの上を飛ぶウマとピアノの上で腐敗したロバはエロスとタナトス (ギリシャ神話では、エロスは愛の神。 タナトスは死の擬人化。) で、腐敗はダリの中心概念 (作品:腐ったロバ L’âne pourri (1928) ) だった。
水の流れは生命を表し、去勢を象徴する鋏との距離が近い。壊れ易さ、誕生、生殖を表す卵とダリの局部を隠す小枝と葉との距離も近い。以上は、個人的解釈で定説ではない。ダリとガラは1934年に結婚した。

シュルレアリズム (1924) に傾倒し、その祖アンドレ・ブルトンAndré Breton (1896 -1966 ) 門下に入った (1929) 直後の作品 (1930) で、アンドレ・ブルトンが購入、秘蔵していたもの。ガラに捧ぐ a Gala / Salvador Dali 1930 の署名がある。パリ国立近代美術館所蔵。

Vert Galant アンリ4世 の騎馬像とポン=ヌフの快速艇

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アンリ4世公園 Square du Vert Galant を乗降基地とするポン=ヌフの快速艇  Vedettes du Pont-Neuf が停船している。ポン・ヌフの橋面レヴェルのポン・ヌフ広場 Place du Pont Neuf にはアンリ4世の騎馬像。対称形の建物の間がドフィーヌ (王太子) 通り。ここの柵には未だ南京錠 Cadenas が大量に付けられている。錠前は近くの土産店系のブキニストで手に入る。

Statue équestre d'Henri IV / Vedettes du Pont-Neuf  /     Square du Vert Galant / Place du Pont Neuf
Statue équestre d’Henri IV / Vedettes du Pont-Neuf / Square du Vert Galant / Place du Pont Neuf

酔いどれ船 Le bateau Ivre

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詩人 アルチュール・ランボー Arthur Rimbaud (1854-91) の出世作<酔いどれ船 Le bateau Ivre > (1871) を船名にしたLe bateau Ivre – Maxim’s de Paris、マキシムの水上レストラン。ここ、ノートルダム寺院横のモンテベロ河岸 Quai de Montebello が停船場で、クルージングできる日もある。
アンリ4世の騎馬像のある (伊達男アンリ4世の公園)  Square du Vert Galant を基地とするポン=ヌフの快速艇  Vedettes du Pont-Neuf  が横を通り過ぎている。

Le bateau Ivre - Maxim's de Paris / Quai de Montebello
Le bateau Ivre – Maxim’s de Paris / Quai de Montebello

パリの市章 / (旧)Blancs-Manteaux市場

ナポレオン1世が建設を決めた5か所の市場 (1811) の1つMarché des Blancs-Manteaux (1819) の建物に見られるパリの市章。白衣 Blancs-Manteaux は元修道院 (1258) の名。
レジオン・ドヌール勲章 (1900) とその下に第一次大戦の十字 Croix de guerre 1914-1918 が吊るされているので、それ以降第二次大戦前に取り付けられたものと思われる。ブドウやザクロなどの果物は豊穣と市場の寓意だろう。
Fluctuat Nec Mergitur 揺蕩えども沈まず

Blason de Paris / Marché des Blancs-Manteaux (ancien)
Blason de Paris / Marché des Blancs-Manteaux (ancien)

パリのオシャレ SNCF の車両 – 2

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イル・ド・フランス南部の古くからの街エタンプ Étampes へ行った時の SNCF C6 線の車両です。二階建て車両の2階から乗降デッキを見たところです。デッキを下りれば一階座席があり、デッキ階にも座席があります。シートの色・柄の種類は多数です。

SNCF C6
SNCF C6

パリのオシャレ SNCF の車両 – 1

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パリを走る鉄道車両は近年目に見えてお洒落になってきています。
2年前 (2014) には気が付いていましたが、段々目に付くようになってきました。
これは今夏イル・ド・フランスの南東、ブリー地方のクロミエ Coulommiers に出かけた時に乗った SNCF P 線の車両です。照明は天井のランプがまるで星空のように点滅します。
JR 四国もこんなになれば・・と思います。

SNCF Ligne P
SNCF Ligne P

エッフェル塔百態 133  アンヴァリッド橋           パリの街燈 réverbère 41

La Boudeuse (goélette) / Port du Gros Caillou

アンヴァリッド橋右岸詰めからのエッフェル塔。
左にアメリカンチャーチ Église américaine à Paris 、ネオ・ゴシック様式のプロテスタント教会で、左岸のランドマークの一つ。間にアンヴァリッド橋の街燈。
右に見える3本マストはグロ=ケイルー港 Port du Gros-Caillou に係留されている La Boudeuse 号 (1916進水) で、オランダに起源をもつ 縦帆帆船のスクーナー Goélette だ。

Tour Eiffel / Pont des Invalides
Tour Eiffel / Pont des Invalides

アントワーヌ=ルイ・バリーによるナポレオン1世の騎馬像

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ナポレオンの生誕地コルシカ島のアジャクシオ Ajaccio のド・ゴール将軍広場にある<ナポレオン1世と4人の兄弟の記念碑>の中央に置かれているナポレオンの騎馬像の1/2石膏モデル。
ローマ皇帝に扮して月桂の皇帝冠を被り、古代ローマ人の着用した1枚布の上着トガ Toga を纏い、(写っていないが) 右手に世界の球/地球を携えている。オルセー美術館所蔵。
4人兄弟 Josepf,Lucien,Louis,Jérôme の末弟でナポレオンに可愛がられたが、結婚を認められなかったジェローム・ボナパルトとエリザベス・パターソンとの間の息子ジェローム・ナポレオン (1805-70) によってナポレオン3世 (ルイの3男) の治政下に建立された (1865) 。
アントワーヌ=ルイ・バリー Antoine Louis Barye (1795-1975) は動物彫刻家。

Napoléon 1er à cheval / Musée d'Orsay
Napoléon 1er à cheval / Musée d’Orsay

カッピエッロによる ジャンヌ・アダン Jane Hading

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Jane Hading / Leonetto Cappiello / Le Rire
Jane Hading / Leonetto Cappiello / Le Rire

ジャンヌ・アダン Jane Hading ジャンナダン (1859-1941) はマルセル・プレボ Marcel Prévost (1862-1941)の代表作<半処女 Les Demi-Vierges (1894)>の初演 (1895) に続き再演 (1900) にも出演した。
その時の舞台衣装を纏った大女優を新進のカッピエッロ Leonetto Cappiello (1875-1942) が Le Rire (3 Novembre 1900) No.313 の裏表紙にイラストしたものと思われる。カッピエッロによる肖像画、Jane Hading 又は夢の(完璧な)半処女とある。

ギャラリー・イグレック所蔵。

La Femme au singe / Portrait de Jane Hading / Musée du Petit Palais
La Femme au singe / Portrait de Jane Hading / Musée du Petit Palais

アルフレッド・ロール Alfred Roll (1846-1919)による10年前の彼女の肖像画<Jane Hading> (1890) はプチパレ美術館のロビーに飾られている。

100年ぶりの Paris 2024 となる?

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Rio 2016 が終わり、次はいよいよ Tokyo 2020 。
その次の開催都市にパリも手を上げている。第一次選考書類を提出した都市はローマ、パリ、ブダペスト、ロサンゼルスの4都市。パリ市庁舎に懸けられた垂れ幕に Paris 2024 とエンブレム 24 Paris 
パリ開催が実現すれば第2回 (1900) 、第7回 (1924) 大会に続き3回目、100年ぶりとなる。

市庁舎前広場では、パリ・プラージュの一環でビーチ・バレー場が仮設されている。2016.08.03.

Paris 2024 / Hôtel de Ville de Paris
Paris 2024 / Hôtel de Ville de Paris

ブラジル土産 / コルコバードのキリスト像 Cristo Redentor

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Cristo Redentor / Rio de Janeiro
Cristo Redentor / Rio de Janeiro

パラリンピックも終わり、Rio 2016 が幕を閉じた。
30年も前ブラジル/ リオ・デ・ジャネイロで買ったお土産。
救世主 キリスト Cristo Redentor の木彫りで、台に Rio と彫られている。

シュハスコ Churrasco とピンガ Pinga とライム Lima 、日本のブラジル料理店では現地を味わえない。

1日の内に、シャツから毛皮まで、温度差に敏感なファッションにも驚いた。

マネを擁護したゾラ / マネと日本画 : オルセー美術館

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Émile Zola / Édouard Manet / Musée d'Orsay
Émile Zola / Édouard Manet / Musée d’Orsay

ドレフュス事件で<我弾劾す J’accuse (1898) >によってドレフュスを弁護したエミール・ゾラ Émile Zola (1840-1902) はマネ Édouard Manet (1832-83) の擁護でも知られる。少年時代の友人セザンヌの才能を見抜き、伝統的な勢力に反発していた彼は後にマネの代表作となる<草上の昼食 (1862) >や<オランピア (1863) >を擁護し続けた。<Émile Zola (1868) >はマネがそれに対する感謝を込めて描いたゾラの肖像画とされる。
マネのアトリエのテーブルにはフェザーペンやインクツボ等ゾラを象徴する小道具と共にマネを擁護した冊子「Manet」(1867) が置かれている。
右上の壁にはマネによる「オランピア」のリトグラフが2世歌川国明による版画「大鳴門灘右衛門」(1860)と(マネが絶賛していた)ベラスケスによる「バッカスの勝利 (1629) 」のエッチングの前に置かれている。
また、左には琳派のものらしい屏風が見え、奥行きがなく平面的で、色使いの限られた日本画 (版画を含め) がマネに与えた影響の大きさを伺える。
なお、ゾラの手にしている書物はマネが度々相談にのって、シャルル・ブラン Charles Blanc (1813-82) が著した「画家たちの歴史」であろうとされている。

 

マキシム Maxim’s のトレードマーク

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パリのロワイヤル通りにある<マキシム Maxim’s (1893)>で使われているセム Sem (Georges Goursat 1863-1934) によるイラスト (1901) です。以前食事をした時のもので、ギャラリー・イグレックに置いています。
パリ万博 (1900) に合わせてパリに拠点を移したセムは、ベル・エポックのパリにあって世界から各界の名士が集まるレストラン:マキシムを好んで訪れ、多くの人物画を描いています。
<Maxim’s (1901) >には、中央の女性 マドモアゼル Pollo (愛称 Chouchou) を初めおそらく当時の著名人が描かれていて、その名が下にメモられています。
マドモアゼル Liane de Lancy はロートレックも描いています (1896) 。左隣の Eugène Cornuché はマキシムのオーナー、中央右のイースター・エッグ  l’oeuf de Pâques はギャルソンの愛称です。

Maxim's / SEM
Maxim’s / SEM

セム SEM の描いた イヴェット・ギルベール

   depuis  2001

Yvette Guilbert / SEM / Le Rire (24 Juillet 1897)
Yvette Guilbert / SEM / Le Rire (24 Juillet 1897)

イラストレーター、 セム Sem (Georges Goursat)  (1863-1934) の描いたイヴェット・ギルベール Yvette Guilbert (1865-1944)。
著名な叙情的歌手5人の1人に挙げている。トレードマークの黒長手袋をはめている。
上段の真ん中アルマン・バルディ Armand Baldy (1865-18..)、左右にポリン Paul Marsalés, dit Polin (1863-1927)、下段中央に Sulbac (19世紀後半)  、左にパウルス Paulus (1845-1908) / 偉大な人気歌手 le “grand chanteur populaire”、右に Yvette / フランスの栄光 gloire français 。
マキシム Maxim’s のメニューに使われてきたイラストは有名だが、セムを知る人は少ないかも。
Le Rire (24 Juillet 1897) の裏表紙。ギャラリー・イグレック所蔵。
このイラストはボルドーを拠点にしていた時期に、パリに旅行して描いた最初の芸術家の似顔絵。SEM は1897-1912 の間 Le Rire のイラストレイターだった。

 

ルニャールの胸像 / ドゥルダン Dourdan

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モリエールMolière (1622-73) に続く劇作家と称されるジャン=フランソワ・ルニャールJean-François Regnard (1655-1709) の胸像。晩年の執筆活動の拠点だったドゥルダン Dourdan の市役所横に置かれている。
別宅 (別荘) として所有していた近くの今は無きグリヨン城 Château de Grillon で傑作「包括受遺者 Le Légataire universel (1708) 」等を書き上げコメディ・フランセーズで上演された。
Raymond Corbin (1907-2002) による彫刻 (1963) で、背景はドゥルダン市庁舎。
姉妹都市であるイギリスのグレートダンモウの名を付けた公園 Square Great Dunmow。

Buste de Regnard / Square Great Dunmow / Dourdan
Buste de Regnard / Square Great Dunmow / Dourdan

ギャラリー・イグレックの花々 209  サネカズラ

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花も咲かないし実もならないので切ってばかりいたサネカズラの花が咲きました。
真っ赤な実を期待していたのですが、どうも雄花のようです。と思っていましたが、立派な実になっているのを確認しました(2016.10.13.)。
「・・逢坂山のさねかずら・・」三条右大臣(藤原 定方)、百人一首25番、さね(小寝)は掛詞として使われています。

サネカズラ / Galerie Y.
サネカズラ / Galerie Y.

八点鐘 / JR 岡山駅 Bon Voyage

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La Malle de Bois の案内スペースに船のデッキ / 甲板と八点鐘が置かれています。
甲板は自転車の組み立てスペースとして提供されていて、木製の旅行鞄 La Malle de Bois のロゴが付いています。
八点鐘は「船鐘」で、30分毎に1~8回 (点) 鳴らし、4時間交代でこれを繰り返すことによって時を告げていました。
アルセーヌ・ルパンで有名なフランスのモーリス・ルブラン Maurice Leblanc (1864-1941) の作品にルパンの活躍する短編集、「八点鐘 Les huit coups de l’horloge (1923) 」があります。

八点鐘 / Les huit coups de l'horloge / 岡山駅
八点鐘 / Les huit coups de l’horloge / JR 岡山駅 5番線ホーム

La Malle de Bois / JR 岡山駅

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知りませんでした。ここJR 岡山駅 5番線 (宇野、坂出、高松方面) 、8番線 (松山、高知方面) ホームでフランス語を見て驚きました。今春から観光用に運行している車両のことのようです。「木製の旅行鞄」の意ですが、Malle は古くは郵便馬車や郵便列車のことでもあったようです。今日からしばらく川之江に滞在します。

La Malle de Bois / JR 岡山駅
La Malle de Bois / JR 岡山駅 5番線ホーム

パリ・セーヌの川床 / ノートル=ダム橋下流右岸

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日本の<鴨川の川床 (かわゆか) >、貴船や高尾の川床 (かわどこ) の様に、セーヌ河畔に設けられたフリーの納涼床。ここの日除けは赤と白。シャンジュ橋 Pont au Change から上流を。
ノートル=ダム橋 Pont Notre-Dame を渡れば左手に最古の病院、オテル=デュー・ド・パリ Hôtel-Dieu de Paris (651) に続いてノートルダム寺院 Cathédrale Notre-Dame de Paris 、右側は花市場 Marché aux Fleurs – Reine Elisabeth II だがパリ・プラージュ Paris Plages(20 Juillet-21 Août 2016)のこの時期は閉店している。

Paris Plages / Pont Notre-Dame / Hôtel Dieu de Cité / Cathédrale Notre-Dame de Paris
Paris Plages / Pont Notre-Dame / Hôtel Dieu de Cité / Cathédrale Notre-Dame de Paris

ノートル=ダム橋 Pont Notre-Dame から上流には青の日除け。
アルコル橋 Pont d’Arcole とその向こうにルイ・フィリップ橋とサン=ルイ島が見える。

Paris Plages / Pont d’Arcole / Pont Louis Philippe / La Seine

パリの街燈 réverbère 40 オデオン座

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Réverbère du Odéon Théâtre de l'Europe
Réverbère du Odéon Théâtre de l’Europe

オデオン座 Odéon Théâtre de l’Europe のリュクサンブール公園・上院側から見た回廊の街燈。
手前はヴォージラール通りにメディシス通り、コルネイユ通り Rue Corneille (右) 、ロトルー通り Rue Rotrou の集まるポール・クローデル広場 Place Paul Craudel 。
コルネイユ、ロトルーは劇作家、ポール・クローデルは劇作家・外交官で彫刻家 カミーユ・クローデルの弟。メディシスはリュクサンブール宮の建設者。

パリの市章 / 労働取引所 Bourse du Travail

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共和国広場から放射するシャトー・オー通り Rue du Château d’Eau に面した「労働取引所 Bourse du Travail 」に付けられたパリの市章 (1890) 。Fluctuat nec mergitur 揺蕩えども沈まず
クラシック・ルネサンス様式のこの建物は Joseph-Antoine Bouvard (1840-1920) による建築 (1890) で、コリント式の壁柱で飾られ、時計とパリ市章、フランス共和国のモノグラム RF を載せている。
オスマンが共和国広場を建設する (1879) 前、ここに Château d’Eau (1811) と呼ばれた噴水を持つ広場があった。その名残。

Blason de Paris / Bourse du Travail / Fluctuat nec mergitur
Blason de Paris / Bourse du Travail / Fluctuat nec mergitur

パリの鉄柵 44 ソルボンヌ大学 / 電気時計

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パリ大学-ソルボンヌ Université Paris-Sorbonne が正式のようだが、ソルボンヌ広場右端の鉄柵。
学舎の壁に Brillié 社 (1898) の電気時計 Horloge électrique が嵌め込まれているが・・実用化 (Charles Féry による) 、販売開始された頃 (1908) に設置されたのではないかと想像する。市庁舎や学校、教会、駅等に急速に普及したという。

Grill de l'Université Paris-Sorbonne / Horloge électrique / Electrique Brillié
Grill de l’Université Paris-Sorbonne / Horloge électrique / Electrique Brillié

<寿芳>の御主人の訃報に接しました。美味な「ちらし寿司」が忘れられません。祈冥福。

フランス戦闘員の記念碑 / モン=ヴァレーリアンの要塞

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パリ防衛のための「ティエールの城壁 Enceinte de Thiers と16の要塞 (1840-45) 」の一つとして建造された<モン=ヴァレーリアンの要塞 Fort du Mont-Valérien >の壁に置かれた、第2次世界大戦における<フランス戦闘員の記念碑 Mémorial de la France Combattante >。
中央祭壇に、自由フランス軍の用いたジャンヌ・ダルク所縁のロレーヌの十字 Croix de Lorraine 。    2014.08.17.
アンリ・ラグリフール Henri Lagriffoul (1907-81) の作品。これだけカメラを引かないと写せない。

SNCF L 線もしくはU 線の Suresnes-Mont-Valérien 下車。
モン=ヴァレーリアンの要塞からエッフェル塔を展望

Mémorial de la France Combattante / Fort du Mont-Valérien / Suresnes
Mémorial de la France Combattante / Fort du Mont-Valérien / Suresnes

女性飛行家 マリーズ・イルズ / ルヴァロア=ペレ

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Monument Maryse Hilsz / Parc de la Planchette / Levallois-Perret
Monument Maryse Hilsz / Parc de la Planchette / Levallois-Perret

パリ北部近郊の街ルヴァロア=ペレ生まれの女性飛行家マリーズ・イルズ Maryse Hilsz (1901-46) の顕彰碑がルヴァロア=ペレ市役所とプランシェット公園 Parc de la Planchette を結ぶプロムナード、マリーズ・イルズ通りの延長線上の公園内にある。
アンリ・ラグリフール Henri Lagriffoul (1907-81) の作品で、巨大な鳥の翼が彼女の功績碑(女性飛行家/フランスの翼の栄光を世界に示したメッセンジャー)である台座を抱え込んだデザインだ。彼は Rio 2016 で周知となった、リオ・デ・ジャネイロのコルコバードの丘に聳え立つ「救世主 キリスト Cristo Redentor / コルコバードのキリスト像」の制作に際して Paul Landowski (1875-1961) をアシストした。
マリーズ・イルズが達成したプロペラ機での女性による高度記録 (14,310m:1936) はその後破られることはなかった。距離と速度を競ってパリ~東京を2度往復している。

メトロ3号線 Anatole France 下車、もしくは、オペラからバス 53 に乗車し Vaillant Couturier で下車、徒歩。

 

フランス人の見た京都

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Kyoto Street : Joris PICARD / Levallois-Perret
Kyoto Street : Joris PICARD / Levallois-Perret

京都先斗町から四条通を越えて南につながる斉藤町の路地、突き当りで木屋町通りに合流する。
石畳に鑓水する和服姿のおなごしがシャッターを切らせたのか・・
パリ郊外 (北) のルバロア=ペレ Levallois-Perret 市役所での写真展にて。
Kyoto Street : Joris PICARD

ルイ14世の立像 / カルナヴァレ美術館

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マレ地区のカルナヴァレ美術館 Musée Carnavalet の中庭に置かれている<ルイ14世の立像>。

ルイ14世を招待したパリ市主催の祝宴 (30 janvier 1687) を記念して、コワズヴォ Antoine Coysevox (1640-1720) に制作依頼し市庁舎に置かれた (14 Juillet 1689) もの。丁度100年後のフランス革命で被害を受けなかった作品の一つ。ローマ皇帝の胸当てとレギンスを着用している。
背後の「四季の寓意像」の修復工事が終わって初めて今夏お目にかかった。

ヴェルサイユ宮殿「戦争の間」の<勝ち誇るローマ皇帝に扮したルイ14世> (1715)

Statue de Louis XIV / Musée Carnavalet
Statue de Louis XIV / Musée Carnavalet

サン=ドニ大聖堂前からサン・ドゥニ・ド・レストレ教会

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Église Saint-Denys-de-l'Estrée / Rue de la République (saint-Denis) / Saint-Denis
Église Saint-Denys-de-l’Estrée / Rue de la République (saint-Denis) / Saint-Denis

サン=ドニ大聖堂前のヴィクトル・ユーゴー広場からサン・ドゥニ・ド・レストレ教会 (前をトラムウェイ T1 が通る) を望む。この間が共和国通り Rue de la République の繁華街で、歩行者専用になっている。
サン=ドゥニ=ド=レストレ教会 Église Saint-Denys-de-l’Estrée (1867) はウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク Eugène Emmanuel Viollet-le-Duc (1814-1879) によるネオ・ゴシック様式の建築。彼はサン=ドニ、ノートルダム (パリ) 、アミアン、カルカソンヌ等の大聖堂等数々の修復に携わった。

UEFA EURO 2016