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日比谷公園「カモメの広場」の桜。30/03/2017
「ユリカモメ」は東京都の鳥 (1965) 。東京都の花 (1984) は「ソメイヨシノ」。ちなみに、東京都の木 (1966) は「イチョウ」
カモメの噴水は淀井敏夫 (1911-2005) の作品 (1986) で、広場の開設に合わせて制作された。
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日比谷公園「カモメの広場」の桜。30/03/2017
「ユリカモメ」は東京都の鳥 (1965) 。東京都の花 (1984) は「ソメイヨシノ」。ちなみに、東京都の木 (1966) は「イチョウ」
カモメの噴水は淀井敏夫 (1911-2005) の作品 (1986) で、広場の開設に合わせて制作された。
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江戸城日比谷御門のすぐ外にあった上屋敷跡で地盤の良くない一帯を日比谷公園として造園した。左側は霞が関の官庁群、奥は日比谷濠、「鶴の噴水」のある「雲形池」の下を丸ノ内線が通っている。鷺が花見をしていた。
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窓のすぐ前のコブシが咲き始めた。20/03/2017
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< L’Écoute (聞く)>と題するアンリ・ド・ミラー Henri de Miller(1953-99)、1986年の作品が据え直された。
ネルソン・マンデラ公園の再整備に伴い外されていたルネ・カサン広場 Place René-Cassin のオブジェが戻ってきた。フェンス向こうの天蓋は再開発された「フォーラム・デ・アール Forum des Halles」 のもの。 08/08/2016
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ブーディカ Boadicea は「ローマ帝国 (スエトニウス総督) に対する反乱 (60-61)」のリーダーで、「勝利の女神」として言い伝えられている。
彼女はケルト人イケニ族の女王で、夫の王プラスタグスの死に伴うローマ進駐軍の簒奪に反発し、ロンドン Londinium を焼き払う等勝利を収めたが、今一歩のところで鎮圧された。
ヴィクトリア女王の夫アルバートの依頼で製作された<ブーディカと彼女の娘たちの像 Statue of Boadicea and her Daughters (1902)>はトーマス・ソーニクロフト Thomas Thornycroft (1815–85) の作品。
2頭立ての戦車チャリオットの中央に右手で槍をかざしたブーディカ、左右に彼女の娘。ヴィクトリア・エンバンクメントの上に置かれている。右側がウェストミンスター橋、「ロンドン・アイ London Eye」はテームズ川右岸にある。
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先日(22/03/2017)ロンドンで発生したテロ事件で、ウェストミンスター橋を暴走した車は左側奥に見える(テームズ川左岸のヴィクトリア・エンバンクメント Victoria Embankment 上の)<ブーディカの反乱像 Boudiccan Rebellion>の前を通って左折、<ビッグ・ベン Big Ben / Elizabeth Tower>との間の鉄柵に衝突して停止した。
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北面の中央入口の中柱 / トゥルメー Trumeau に<聖母子 Vierge à l’enfant>像。
その上部、ティンパン Tympan の中央には宝珠を左手に持ち、右手で祝福ポーズをとるキリスト像。
ウェストミンスター寺院 Westminster Abbey (960) はヘンリー3世によって現在のゴシック様式に再建が始められた(1245‐1517)。
ヘンリー3世の妃はエリナー・オブ・プロヴァンス Eleanor of Provence で、ルイ9世(サン・ルイ)の妃マルグリット・ド・プロヴァンス Marguerite de Provence の妹。
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マルグリット・ダングレーム Marguerite d’Angoulême(1492-1549) はフランソワ1世の姉であり、ナヴァラ王エンリケ2世の王妃。
ブルボン朝初代国王のアンリ4世の生母ジャンヌ・ダルブレ Jeanne d’Albret は彼女のただ一人の王女だ。
フランソワ1世が推進したフランス・ルネサンスの庇護者で、自らも文人だった。
Joseph-Stanislas Lescorné (1799-1872)の作品(1848)。
グアム
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ヴァランティーヌ・ド・ミラン Valentine de Milan (1370‐1408)はミラノ公の公女(ヴァランティーヌ・ヴィスコンティ)として生まれたオルレアン公爵夫人で、ルイ12世のお祖母さんであり、フランソワ1世の曾お祖母さんでもある。
シャルル5世を継いだフランス王シャルル6世の弟、オルレアン公ルイ・ド・ヴァロワの公妃。精神異常だったシャルル6世にサン・ポル宮殿を追われた。
10人の子を産み、上記のフランス王に繋がる2人の王子を含む4人が成人した。
ルイ12世はヴィスコンティ家の継承権を主張してミランに侵攻し支配した(1499‐1513)。
Victor Huguenin (1802-1860)の作品(1846)。
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アンヌ・ド・ブルターニュ Anne de Bretagne(1477-1514)はブルターニュ公国の拠点であるナントのブルターニュ公爵城でフランソワ2世の子として生まれ、幼くしてブルターニュ女公となった(1488‐1514)。
が、ブルターニュ公国の継承を巡る争いから政略的にマクシミリアン1世(神聖ローマ帝国皇帝)と結婚(1490)、フランス王シャルル8世と再婚(1491)、ルイ12世と再再婚(1499)した。
ブルトン人の独立確保のための戦いの人生だった。
8人の子を産んだが、成人したのはルイ12世との間の王女2人だけで、長女のクロード・ド・フランス (1499年-1524年)がブルターニュ女公を継承し、次期フランス王となったフランソワ1世の王妃となった(1514)。
Jean-Baptiste Debay fils(1802‐62)の作品(1847)。
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サン・ルイ(ルイ9世)の母、ルイ8世の王妃(1223-26)。
ブランシュ・ド・カスティーユ Blanche de Castille (1188-1252) は後のスペイン王国の中核となるカスティーユ王国の王女として生まれた。
13人(サン・ルイ(1214-70)は5人目)の子供を生んだが成人したのは5人。
サン・ルイ即位後摂政(1226-35)を務めた。
オーギュスタン・デュモンAugustin Dumont (1801-1884)の作品(1848)。
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マルグリット・ド・プロヴァンス Marguerite de Provence (1219-95) はルイ9世 (サン・ルイ) の王妃。
「プロヴァンス伯の4姉妹」の長女で、次女はイングランド王ヘンリー3世の王妃エリナー・オブ・プロヴァンス Eleanor of Provence。
結婚して6年間子供に恵まれなかったが、次のフランス王フィリップ3世をはじめ6男5女を儲けた。
オノレフッソン Honoré Husson (1803-1864) の作品 (1847) 。
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メロヴィング朝フランク王国の初代国王クロヴィス1世(在位:481-511)の妻の一人で王妃のクロチルド(475-545)の像。聖人である。
パリのランドマークの一つであるサント・クロチルド聖堂(1857)は聖人クロチルドに奉献された聖堂だ。
聖ジュヌヴィエーヴ教会(502)を建立したのも彼女だ。
ブルグント王国(ブルゴーニュ)の王女として生まれたが、祖国は息子のフランク王国2代国王キルデベルト1世によって併合された(534)。
Jean-Baptiste-Jules Klagmann (1810-1867)の作品。
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チューリップはこの頃が美しい。 01/04/2016
彫像はデニス・ピュエシェ Denys Puech (1854-1942)によるルコント・ド・リールの記念碑 Statue de Leconte de Lisle。
ルコント・ド・リールは詩人で、劇作家。詩王 Prince des poètes (1885-94)に選ばれている。
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パリのセーヌ川に棲む魚。
馴染みのない種が多い。
水面に近い所から左から右へ、
Ablette ブリーク
Chevaine チャブ
Truite マス
Hotu オオバナウグイ
Barbeau バーベル
Goujon ヨーロッパカマツカSandre パイクパーチ
Anguille ウナギ
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パリ市庁舎の南面、セーヌ川を見下ろす<エティエンヌ・マルセルの騎馬像>の両側の木蓮の花が咲き始めた。2016.03.26.
今年は暖冬のようなので、既にこの様な風情かも。明日から8日間、ギャラリー・イグレックの一員がパリに出かけます。
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聴覚障害者のための高校フランソワ・トリュフォー Lycée François Truffaut に付けられたパリ市章。20世紀初頭の開校で、レジオン・ドヌール勲章が付いている。
フランソワ・トリュフォー François Truffaut(1932-84)はヌーヴェルヴァーグ Nouvelle Vague を代表するフランス人監督だが、作品の一つ「野性の少年 L’Enfant sauvage(1969)」においてパリの聾啞研究所に送られてきた少年と接する博士の役を自ら演じた。
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都立戸山高等学校は旧府立4中(1901)で、東京府尋常中學の補充中学校(1888)を起源とし、1中(1878)に次ぐ歴史を持つ。左は学習院女子大学で、京都御所内に設けられた学習所の女子教科(1847)を起源とする。鉄門と呼ばれる正門は旧学習院正門(1877)を移築した(1949)もので、国の重要文化財に指定されている。
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ブルガリアのブカレスト生まれの画家パスキン Jules Pascin (1885-1930) はエコール・ド・パリの一員だった。風貌に加えて、絵が売れると仲間に振舞っていたこともあって、「モンパルナスの王子 Prince de Montparnasse」と呼ばれた。
「3山(モンパルナス・モンマルトル・ヴィーナスの丘)の王子 Prince des trois monts」とも呼ばれたという。パリ市立近代美術館 Musée d’art moderne de la ville de Paris が所有する<Manorita (1929)>はモデルで愛人だったルーシー・クローグ Lucy Krohg が相続し、寄贈した(1936)パスキン晩年の作品。”さよなら ルーシー Adieu Lucy” と浴槽のドアに血書して自殺したパスキンの財産は本妻と折半されたという。
パスキン Pascin の名は本名ピンカス Pincas のアナグラム (anagram)。
今日から約3か月間川之江に滞在します。
StMichel のロゴに<ガリアの雄鶏 Coq gaulois >が使われています。
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香林坊から犀川を渡り、寺町の忍者寺を通って<にし茶屋町>の落雁屋さんで好物の落雁を求めました。生落雁を久しぶりに頂きました。
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旧制第四高等学校の学舎の一部が保存されて「石川四高記念文化交流館」となっています。
三高ボート部の部歌、「琵琶湖周航の歌(1917)」は誰でも知っていますが、四高ボート部の遭難事故(四高生8名、OBの京大生3名)への哀悼歌「琵琶湖哀歌(1941)」はご存じでしょうか?
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兼六園隣の石川県立美術館を通り抜けて急な崖下にある「鈴木大拙館」を訪問しました。思索空間棟と水鏡の庭です。芯柱を用いた「りんご吊り」と「縄巻き」が見れます。
兼六園に隣接の<成巽閣(せいそんかく)>への入り口の雪景色です。
兼六園からの導入路の左に「りんご吊り」と「幹吊り」、右に「幹吊り」と「三つ又吊り」の雪吊りが見えます。
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兼六園の<梅林>で撮った「加賀白梅/白加賀」です。最も一般的な梅で大阪/豊中の自宅にもあるのですが、加賀で見るとしっくり来るような気がしました。旧白加賀村(神奈川県)の名に由来すると言われているのですが・・
梅林は日当たりが良くて雪はかなり溶けてしまっています。 19/02/2017
灌木の「三つ又吊り」や「縄巻き」等が見えていますが、加賀白梅に雪吊りはありません。
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兼六園に隣接の<成巽閣(せいそんかく)>で「前田家伝来 雛人形雛道具特別展」が開かれていましたので入ってみました(1000円、4月17日まで)。
兼六園の真ん中に建てられた「竹沢御殿(1822)」の謁見の間などが移築された(1863)もので、「加賀前田家の奥方御殿」と紹介されています。
雪吊りのある前栽の雪景色です。灌木の「三つ又吊り」や「幹吊り」を窺えます。
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兼六園 <根上松(ねあがりまつ)>付近の雪景色です。立派な黒松です。
「値上り」にかけてパワースポットとしても有名になっているそうです。
この雪吊りは「幹吊り」と呼ばれます。<唐崎の松>の雪吊りは芯柱を用いる「りんご吊り」です。
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兼六園最大の「霞ヶ池」との落差を利用した噴水で、<日本最古の噴水>と紹介されています。枝振りを見ると、「雪吊り」が役目を果たしているように思えます。
兼六園 真弓坂口で入園料を払って (65歳以上は無料) すぐ見える<瓢池 (ひさごいけ) >です。
夕顔亭と海石塔 (かいせきとう) が見えています。
兼六園の整備はこの辺りから始まったと言われています。
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昨日の夜、「卯辰かなざわ」で夕食をとっている頃に降り始めた雪が残っていて、二日目の<兼六園>はうっすらと雪景色でした。天気は快晴でした。 19/02/2017
今回は宿での朝食後、金沢城のお堀沿いに徒歩で真弓坂口から兼六園に入りました。
松の枝は「雪吊り」されています。