パルク・ロワイヤルと呼ばれた公園

   depuis  2001

<レオポルド・アキレ公園 Square Léopold-Achille>は元オランジュリーの建物を挟んで「ジョルジュ・カイン公園」に隣接。写真の背後に Hôtel Le Peletier de Saint-Fargeau とオランジュリーの北面 (だから窓がない) 、と彫像が見える。パリコミューンで焼失した旧パリ市庁舎のホールに置かれていた<果物の女神  ポモナの立像  Statue de Pomone (1841)>で、作者は不詳。フランソワ1世のサマランダーは右端 (写真外) でいずれもカルナヴァレ美術館の博物。
写真の奥はパリ最古のヴォージュ広場の方向で、1432 以来その北側にあった「王のトゥルネルの館 Hôtel des Tournelles 」に接してあったパルク・ロワイヤルの名残だと思われる。

Square Leopold Achille / Hôtel Le Peletier de Saint-Fargeau et Orangerie

今日 (24日) から27日まで大阪、大津、京都に出かけます。

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エコジャルダンと呼ばれるジョルジュ・カイン公園

   depuis  2001

カルナヴァレ美術館に隣接する<ジョルジュ・カイン公園>。初代学芸員だったジョルジュ・カイン Georges Cain (1856-1919) に因む。背景は美術館関連の Hôtel Le Peletier de Saint-Fargeau 、生け垣の手前には多くの博物が並んでいる (特に写っていない右側に) 。
中央の彫刻はマイヨール Aristide Maillol (1861-1944) の作品<イル・ド・フランス Île de France (1925)>。元あったフィリップ・マグニエ (1647-1715) による「夜明け L’Aurore 」はルーヴルへ (1993) 。
元、ルイ14世政府高官 Le Peletier の私邸 Hôtel particulier は Pierre Bullet (1639-1716) の建築作品 (1686) で現在はパリ市が所有 (1895) 。

Square George Cain / Hôtel Le Peletier de Saint-Fargeau / Musée Carnavalet

<ガーゴイル>の展示 / オーギュスタン美術館

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コルドリエ教会 Église des Cordeliers de Toulouse ( 現 Tour de l’Ancien Collège de Foix ) に取り付けられていた<ガーゴイル / 雨樋 Gargouille>がトゥールーズのオーギュスタン美術館で保存・ 展示されている。13~14世紀に制作されたもの。
実際とは異なり立てて展示してあるため、背後に回らないとガーゴイルと気付かないかも知れない。一様ではない種類の多さに驚く。確認されていた25個のうち15個が保存されている。

Gargouille / Musée des Augustins / Église des Cordeliers de Toulouse

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ローランサンによる<マダム・ポール・ギョームの肖像>

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Portrait de Madame Paul Guillaume / Marie Laurencin / Musée de l’Orangerie

オランジュリー美術館はクロード・モネの睡蓮とジャン・ウォルター / ポール・ギョームのコレクションからなる。ポール・ギョームとジャン・ウォルターの夫人だったドミニカ Domenica と愛称された Juliette Lacaze (1898-1977) の肖像をマリー・ローランサンが描いた。<マダム・ポール・ギョームの肖像 (vers 1924 ou 28)>だ。
ポール・ギョーム Paul Guillaume (1891-1934 ) はモディリアーニとスーチンのディーラーとして有名で、コレクターでもあった。ウォルター夫妻 (ジャンとドミニカ) がコレクションを引き継いだ。
ローランサンはアポリネールのお陰でポール・ギョームと出会った (1912) 。

ココ・シャネルが引き取りを拒否した肖像画

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Portrait de Mademoiselle Chanel (1923) / Marie Laurencin / Musée de l’Orangerie

マリー・ローランサン (1883-1956) が描いたシャネルの創業者 Coco Chanel (1883-1971) の肖像画<マドモアゼル・シャネルの肖像 Portrait de Mademoiselle Chanel (1923)>。ココ・シャネルは気に入らなくて支払い (受け取り) を拒否、ローランサンは描き直しに応じなかったという曰くの作品。2人は同い年。

「シャネルの5番」等を発表し、ミシア・セール Misia Sert (1872-1950) を通じてサロン、社交界にデビューした頃だ。ミシア・セール  はピアニストであり、多数の画家や詩人の助言者 Égérie であり、後援者、ミューズだったとされ、パリの女王 Reine de Paris と呼ばれていた。ココ・シャネル が唯一信頼した女性といわれている。

テオドール・ジェリコーによる「死んだ猫」

   depuis  2001

今日はホーちゃんが亡くなって丸3年目です。
テオドール・ジェリコー Théodore Géricault (1791-1824) は同じヨーロピアン種雉猫の「死んだ猫 Le Chat Mort (Vers 1820) 」を描きました。

Le Chat Mort / Théodore Géricault / Musée du Louvre

テオドール・ジェリコーの代表作は<メデューズ号の筏 Le radeau de la Méduse (Vers 1818)>だが、下はその2番目の粗描 (スケッチ) として残っているもの。

Le radeau de la Méduse / Théodore Géricault / Musée du Louvre

おしろい(白粉)の宣伝に サラ・ベルナール

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La diaphane, poudre de riz Sarah Bernhardt / Sarah Bernhardt / Jules Chéret

ベルエポック期の大女優サラ・ベルナール Sarah Bernhardt (1844-1923) を使った宣伝用ポスター。
オペラ大通り32番地で、香水・化粧品を扱っていた La Diaphane が黒の長手袋をはめた左手におしろい (白粉) Poudre de Riz を持たせたポスター (1890) 。
「現代ポスターの父」と呼ばれるジュール・シェレ Jules Chéret (1836-1932) のリトグラフ作品。
カルナヴァレ美術館で見れるが、これはモンマルトルの Galerie Butte Montmartre の店頭で撮ったもの。03/08/2017.

ジュール・シェレには、黒の長手袋がトレードマークだったイヴェット・ギルベール Yvette Guilbert (1865-1944) を描いた Yvette Guilbert au Concert Parisien (1891) 、黒の長手袋をはめたソプラノ歌手 Kanjarowa の作品 (1891) もある。

ドゴール将軍の像とモンパルナスタワーとプティ・パレ

   depuis  2001

シャンゼリゼ大通りに面したクレマンソー広場 Place Clemenceau からドゴール将軍の像とモンパルナスタワーとプティ・パレ。グラン・パレは右の案内板と樹木の奥。車列はアイゼンハワー将軍大通りとウィンストン・チャーチル大通り。 (電線は一時的なもの。)
24 PARIS は「パリオリンピック 2024」の招致ロゴ。バリケードは革命記念日 Le 14 Juillet 行事の名残り。                                                        16/07/2017.

Statue Général Charles De Gaulle / Tour Montparnasse / Petit Palais / Place Clemenceau

井山7冠「王座」防衛に続き、「天元」も防衛。井山を猛追の一力8段をいずれも3-0で下す。年明けの棋聖戦も6-0で挑戦権を得た一力が挑む。

Jean-François de Troy による<狩猟場の昼食>

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Un déjeuner de chasse / Jean-François de Troy / Musée du Louvre

フォンテーヌブロー宮殿のルイ15世の食堂を飾る絵として製作された。ジャン=フランソワ・ド・トロワ Jean-François de Troy (1679-1752) による<狩猟場の昼食 Un déjeuner de chasse (1737)>。ロココ初期の作品。
狩りの合間の昼食を描いた歴史画だが、恐らく狩りそっちのけの雰囲気が当時の上流社交界を物語っているように見える。

ジャン=バプティスト・ルニョー の <三美神>

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Les Trois Grâces / Jean-Baptiste Regnault / Musée du Louvre

ジャン=バプティスト・ルニョー Jean-Baptiste Regnault (1754-1829) が描いた<三美神 Les Trois Grâces (1799)>。ルーヴル美術館所蔵。
左から、「ギリシャ神話の3美神」エウプロシュネー Euphrosyne、アグライアー Aglaéタレイア Thalie で、最高の美神 アプロディーテー Aphrodite の侍女たち。
それぞれのアトリビュート(属性)として、リンゴ、ギンバイカ、バラの花を髪に付けている。いずれもアプロディーテーの属性でもあるが、ギンバイカは豊穣の女神デーメーテールとアプロディーテーに捧げられる花とされる。アグライアーはアプロディーテーと離婚したヘーパイストスの妻となる。

伝説の聖人 アンティオキア の マルガリタ

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Sainte Marguerite / Raphaël / Musée du Louvre

龍 Dragon に飲み込まれる前のアンティオキアのマルガリタ Marguerite d’Antioche 。手には勝利の象徴であるパルムの葉を持ち、ドラゴンを足で踏みつけていて勝利する(した)ことを暗示している。ラファエロ Raphaëlと弟子のジュリオ・ロマーノによる作品< Sainte Marguerite  (1518 /1777 )> 。
教皇 Léon X がフランソワ1世に贈ったラファエロ作の<Le Grand Saint Michel (1518 / 1751)>、<La Grande Sainte Famille (1518 / 1751)>のもう一点とされている。
フランソワ1世の姉:マルグリット・ダングレーム Marguerite d’Angoulême 、当時アランソン公爵夫人(後にマルグリット・ド・ナヴァル Marguerite de Navarre 王妃) を聖マルガリタに擬えて称えた作品かと・・
3点ともフランソワ1世のコレクションでルーブル美術館蔵。

ヘーベ Hébé に扮した Chaulnes 公爵夫人

   depuis  2001

ヘーベ  Hébé はギリシャ神話で青春の女神。ゼウスとヘーラの娘で、ヘラクレスの妻。

La duchesse de Chaulnes, représentée en Hébé / Jean-Marc Nattier / Musée du Louvre

ロココの肖像画家 ジャン=マルク・ナティエ Jean-Marc Nattier (1685-1766) が描いた<ヘーベ Hébé に扮した Chaulnes 公爵夫人 La duchesse de Chaulnes, représentée en Hébé (1744)>。
左手にアンフォラ amphora 、右手に盃と雲に乗る鷲、頭と腕に薔薇、衣装はヘーベ風  en Hébé 。
Chaulnes 公爵夫人 Anne Josèphe Bonnier de la Mosson (1718 – 1787) はルイ15世の王妃マリー・レクザンスカ Marie Leszczynska の女官だった。
彼女の夫は天文学者で物理学者、1744年は Chaulnes 公爵襲名の年で、<ヘラクレスに扮した彼の肖像画 Portrait du duc de Chaulnes (1714-1769), lieutenant-général de Picardie, représenté en Hercule(1746) >もルーブル美術館にある。

アルベルト・ジャコメッティ と 矢内原伊作

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Isaku Yanaihara / Alberto Giacometti / Musée National d’Arts Moderne,Centre Pompidou

パリ市立近代美術館で催されていた<ドラン バルテュス ジャコメッティ 芸術友情展 Derain Balthus Giacometti  / Une Amitié Artistique>で観たアルベルト・ジャコメッティ Alberto Giacometti (1901-66) による矢内原伊作の肖像 Isaku Yanaihara (1968) 。
国立近代美術館 Musée National d’Arts Moderne,Centre Pompidou 所蔵。
矢内原伊作 (1918-89) は愛媛県新居浜市生まれ、京大卒の哲学者で、パリ留学中にジャコメッティと親交を結び、彼の作品等の紹介者・モデルとしても知られる。東大総長矢内原忠雄の長男。

鳥を捕らえた猫 / 国立ピカソ美術館・パリ

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ピカソ美術館 Musée National Picasso-Paris で見た<鳥を捕らえた猫 Chat saisissant un oiseau (1939)>。その頃、パブロ・ピカソPablo Picasso (1881-1973)は「ゲルニカ」を描いた (1937) グラン・オーギュスタン通り Rue des Grands-Augustins のアトリエに住んでいた。スペイン国籍とはいえ大戦中占領下のパリに滞在し続けた。
01/04/1939 にはスペインでフランコの独裁政権が樹立。この絵は 22/04/1939 に描かれた。

Chat saisissant un oiseau / Pablo Picasso / Musée National Picasso-Paris

今日は故 ROSE の月命日。

バルテュス Balthus 展 / 夢みるテレーズ : 追加再掲

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上野の森恩賜公園にある東京都美術館で<バルテュス Balthus 展>を鑑賞しました(2014)。

「称賛と誤解だらけの、20世紀最後の巨匠。」とあります。

バルテュスは2001年に亡くなりましたが、
節子夫人が自らが所持する作品に加えて、メトロポリタン、ポンピドーセンター、ハーシュホーン博物館と彫刻の庭、ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館等の所蔵作品や個人所有の作品を集めて所縁の日本で企画したものです。

ポスターに使われている作品は、メトロポリタン美術館所有の<夢みるテレーズ Thérèse Dreaming (1938)>で、モデルは6区のクール・ド・ローアン Cour de Rohan で隣人だった失業者の娘テレーズです。
「少女とはこの上なく完璧な美の象徴なのだ」…そのモデルとして最初の少女で、
同種の構図で<少女と猫>という作品もあります。

バルテュス Balthus 展 / 夢みるテレーズ
バルテュス Balthus 展 / 夢みるテレーズ

節子夫人の前の前、最初の妻ワトヴィル Watteville をモデルにして描いた<白いスカート 1937>は無かった。

追補:11/08/2017

<パリ市立近代美術館>で開かれたドラン バルテュス ジャコメッティ 展で再び鑑賞する機会があった2点を紹介しておきます。ワシントンとロッテルダムから日本へ、パリへ・・。

Balthus / Les Beaux jours (1944-1946) / Hirshhorn Museum and Sculpture Garden, Smithsonian Institution, Washington, DC, Gift of the Joseph H. Hirshhorn
Balthus / Les Joueurs de cartes (1968-73) / Museum Boijmans Van Beuningen, Rotterdam

シェファーによる「フランチェスカ・ダ・リミニ」2

   depuis  2001

フランチェスカ・ダ・リミニ Francesca da Rimini (1255-85) はイタリアのラヴェンナ領主の娘。リミニ領主に嫁がされるがその弟パオロ Paolo Maratestaと恋に落ちたすえに夫に殺される。
ダンテ・アリギエーリ Dante Alighieri (1265-1321) は「神曲」地獄編でこの悲恋を取り上げたが、ロマン派の巨匠 アリー・シェファー Ary Scheffer (1795-1858) はこれを絵Francesca da Rimini (1835)>にした。フランチェスカとパオロを陰で見るダンテとローマの詩人ヴァージル Virgile / ウェルギリウス 。
ルーヴル美術館所蔵の下の絵は1855年ヴァージョンで、<Les ombres de Francesca da Rimini et de Paolo Malatesta apparaissent à Dante et à Virgile (1855) >と名付けられている。日本では<パオロとフランチェスカ>というらしい。05/12/2010.

Les ombres de Francesca da Rimini et de Paolo Malatesta apparaissent à Dante et à Virgile / Ary Scheffer / Musée du Louvre

パリの建物 33 パヴィヨン・ド・ラルシナール

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<パリの日本建築 ARCHITECTURES JAPONAISES À PARIS 1867-2017>と題した展示会が催されているとMさんから聞いて、モルラン大通りに面した<パヴィヨン・ド・ラルシナール Pavillon de l’Arsenal (建築博物館)>に行ってきた。  26/08/2017.
右端に共和国防衛隊 Garde Républicaine の建物、左に Hôtel de Fieubet (1676-81) / 現 École Massillon(1877) の鐘楼が見えている。
前のペレ・テイヤール・ド・シャルダン広場 Place du Père-Teilhard-de-Chardin にはアルチュール・ランボーの像があるメトロ 7、バス86 の Sully – Morland 下車。

Pavillon de l’Arsenal

ドラン バルテュス ジャコメッティ 展

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<ドラン バルテュス ジャコメッティ 芸術友情展 Derain Balthus Giacometti  / Une Amitié Artistique>が10月29日までパリ市立近代美術館 Musée d’art moderne de la ville de Paris で開催中。
日本からは唯一「北海道立近代美術館」所有のアンドレ・ドラン André Derain (1880-1954) の作品<猫と裸婦 Nue au chat (1936-38)>が来仏している。
ジャコメッティ Alberto Giacometti (1901-66) と親交のあった新居浜市生まれの哲学者、矢内原伊作(1918-89) の肖像画の展示もある。

Nue au chat / André Derain / Hokkaido Museum of Modern Art

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ブリヂストン美術館のロートレックをオランジュリー美術館で

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<ブリヂストン美術館の名品−石橋財団コレクション展 Tokyo-Paris Chefs-d’œuvre du Bridgestone Museum of Art, Collection Ishibashi Foundation >がオランジュリー美術館 Musée de l’Orangerie で開催中(au 21 août 2017)。東京/八重洲は閉館中らしい。
ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) の油絵作品<サーカスにて: 舞台裏で (1887頃) Au cirque : dans les coulisses (vers 1887)>の展示があった。

Au cirque : dans les coulisses (vers 1887) / Henri de Toulouse-Lautrec

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サレ館 Hôtel Salé /ピカソ美術館

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サレ館の階段を上った1階ロビーの様子。右の階段が中央階段の折り返し階段。飾られているのは「赤いアームチェアの裸婦 Grand Nu au fauteuil rouge (1929)」。この丁度下の地上階に<毛皮の襟を着けたオルガ Olga au col de fourrure (1923) >が展示されている。

Hôtel Salé / Musée National Picasso-Paris

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リールから来たオルガ / ピカソ美術館 パリ

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Olga au col de fourrure / Hôtel Salé / Musée National Picasso

 

リール美術館 Palais des Beaux Arts de Lille で観た<毛皮の襟を着けたオルガ Olga au col de fourrure (1923) >がパリのピカソ美術館 Musée National Picasso – Paris / Musée Picasso – Parisで特別展示されている。
「オルガ・ピカソ展」が開かれているサレ館 Hôtel Salé の階段前を飾る。
オルガ Olga Khokhlova はピカソ Pablo Picasso の最初の妻(1918-55)。

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スポンサー宣伝車の行進 – 2 Tour de France 2017

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コンコルド広場を行くスポンサー宣伝車の一例。加工食品メーカー「ル・ゴルワ Le Gaulois 」はガリア  Gaule の象徴である雄鶏 Coq gaulois を使用して目立つ。
広場に吻側型の街燈 Lampadaire colonne rostrale 等、背景にグラン・パレとプチパレ。緑は王妃の散歩道付近ののマロニエ。
チュイルリー公園のオランジュリーのテラス Terrasse de l’Orangerie より俯瞰した。

Tour de France 2017 / Place de la Concorde / Grand Palais / Petit Palais / Lampadaire colonne rostrale

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パリの建物 30 アンヴァリッド Hôtel des Invalides

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オテル・デ・アンヴァリッド Hôtel des Invalides(1674)/ 廃兵院の中央部分が改装された。
ぺディメント Fronton には浅浮き彫りのルイ大王/ルイ14世の騎馬像。その真っ直ぐ奥にサン・ルイ大聖堂 Cathédrale Saint-Louis-des-Invalides と ドーム Dôme des Invalides (1706)。
ナポレオン・ボナパルト、フォッシュ元帥、ルクレール元帥等の廟がある他<軍事博物館 Musée de l’Armée >としても使用されている。

Hôtel des Invalides / Musée de l’Armée / Eglise du Dôme

14 juillet 2017 パリ祭

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今日はフランスの革命記念日 14 juillet 2017 
今年は第一次世界大戦でモンロー主義を貫いていたアメリカが参戦した1917から100周年に当たる。
トランプ大統領夫妻が來仏、革命記念行事にも参加する。
ルーブル美術館の入場料15€無料を使って、航空ショウをピラミッド Pyramide du Louvre で・・と思ったのだが、意外に早く入場できたので断念した。凱旋門から一直線にこの頭上を通過する。

14 juillet 2017 / Pyramide du Louvre / Musée du Louvre

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ビュッフェの作品 <クールベに倣った眠り>

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ビュッフェ Bernard Buffet (1928-99) の作品<クールベに倣った眠り Le sommeil d’après Courbet (1955) >が載っている画集が何時も何かとお世話になっている「パリの JCB Plaza 」にあったので紹介しておく。

Le sommeil d’après Courbet / Bernard Buffet

再掲

<プチ・パレ美術館>で所蔵のクールベ Gustave Courbet (1819-77) 作の<眠り Le Sommeil>を観た。
オルセー美術館所蔵の有名なクールベの作品<世界の起源 L’Origine du monde (1866) >
と同じ年に描かれたものだ。
赤毛の方の女性はジョアンナ・ヒファーナン Joanna Hiffernan で、世界の起源のモデルはこのヒファーナンだといわれている。
これらの絵画はオスマン帝国の外交官の注文によって描かれた。

Le Sommeil / Gustave Courbet / Petit Palais
Le Sommeil / Gustave Courbet / Petit Palais

ビュッフェ Bernard Buffet (1928-99) が同じ構図を描いた作品
<クールベに倣った眠り Le sommeil d’après Courbet (1955) >がある。

最初の葬儀/アダムとイヴとアベル

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Les premières Funérailles / Louis Ernest Barrias / Petit Palais

登場人物は3人・・アダムとイヴとアベル。
アダムとイヴの子カインによって子アベルは殺される。史上最初の殺人による<最初の葬儀 Les premières Funérailles>を刻んだルイス・アーネスト・バリアス Louis Ernest Barrias (1841-1905) の作品 (1883) 。
アダムはアベルを抱きかかえて葬儀の場に進んでおり、イヴはアベルの頭にキスしている。

プチ・パレ パリ市立美術館 Musée des Beaux-Arts de la ville de Paris。

パリの防衛 La Défense de Paris  (1883) の作者。

セェム SEM が贈ったジャン・コクトーの肖像

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SEMと呼ばれた George Goursat (1863-1934) がジャン・コクトーの3番目の詩集「ソフォクレスの踊り La Danse de Sophocle(1912)」の出版を記念して贈ったとされる肖像画。
パレトゥ Paletot という短いコートを着たグレイハウンド犬 lévrier でイラストしている。右前足で踏んでいるのが詩集、コートにはBakst の文字が見え、バレエ舞台美術家 Léon Bakst(1866-1924) のことだろうと思われる。衣装が彼のデザインかも。
ミリィ・ラフォレ Milly-la-Forêt にある<ジャン・コクトー美術館 Musée Jean Cocteau >/ジャン・コクトーの家 Maison de Jean Cocteau で観れる。

Portrait de Jean Cocteau / George Goursat dit SEM / Musée Jean Cocteau / Milly-la-Forêt

アメデオ・モディリアーニ による<ブロンドの女>

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ナンシー美術館 Musée des Beaux-Arts de Nancy で観たモディリアーニ Amedeo Modigliani(1884-1920) の作品です。<ブロンドの女 La Femme blonde>(1918)と題された<ジェルメーヌ・サーベージの肖像 Portrait de Germaine Survage>です。彼女は「エコール・ド・パリ」の友人レオポルド・サーベージの奥さんでした。1918年の夏、転地療養をしていたニースで描いた3枚の内の1つです。S 字曲線は動きを描き込むためのモディリアーニの技法です。

La Femme blonde (Portrait de Germaine Survage) / Amedeo Modigliani / Musée des Beaux-Arts de Nancy

モンパルナスの王子だったパスキン

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ブルガリアのブカレスト生まれの画家パスキン Jules Pascin (1885-1930) はエコール・ド・パリの一員だった。風貌に加えて、絵が売れると仲間に振舞っていたこともあって、「モンパルナスの王子 Prince de Montparnasse」と呼ばれた。
「3山(モンパルナス・モンマルトル・ヴィーナスの丘)の王子 Prince des trois monts」とも呼ばれたという。パリ市立近代美術館 Musée d’art moderne de la ville de Paris が所有する<Manorita (1929)>はモデルで愛人だったルーシー・クローグ Lucy Krohg が相続し、寄贈した(1936)パスキン晩年の作品。”さよなら ルーシー Adieu Lucy” と浴槽のドアに血書して自殺したパスキンの財産は本妻と折半されたという。
パスキン Pascin の名は本名ピンカス Pincas のアナグラム (anagram)。

Manorita / Jules Pascin / Musée d'art moderne de la ville de Paris
Manorita / Jules Pascin /
Musée d’art moderne de la ville de Paris

ステュムパリデスの鳥を殺すヘラクレス

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ぺロポネスの<ステュムパリデス湖畔の森に棲む青銅の羽を持つ怪鳥を殺すヘラクレスHéraklès tue les oiseaux du lac Stymphale (1909)>。
弓を引くヘラクレス Héraclès archer とも呼ばれ、ヘラクレス12の功業 Travaux d’Héraclès の第6 をモチ-フとした作品 (ギリシャ神話) 。
第2でヘラクレスが退治する9つの頭を持つ怪物 ヒュドラー hydre de Lerne のレリーフが見えるが、これは 見えていない第1で退治するネメアのライオン lion de Némée と共にリュクサンブール美術館に納入された第2版で追加されたもの (1923) 。
アントワーヌ・ブールデル Antoine Bourdelle (1861-1929) の代表作の一つで、オルセー美術館にて 05/08/2012。

Héraklès tue les oiseaux du lac Stymphale / Antoine Bourdelle / Musée d'Orsay
Héraklès tue les oiseaux du lac Stymphale / Antoine Bourdelle / Musée d’Orsay

ヘラクレスの<努力>

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アウゲイアース Augias の家畜小屋を掃除するために、ぺロポネス最大の川アルペイオスの流れを岩を穿って引き込んだヘラクレスの<努力 L’Effort (vers 1908)>を表現したピエール・ロシュ Pierre Roche (1855-1922) の作品。ヘラクレス12の功業 Travaux d’Héraclès の5に触発されたとされる (ギリシャ神話) 。
彫像の素材は鉛、岩石は砂岩を焼いた陶器でアレクサンドル・ビゴー Alexandre Bigot (1862-1927)の作品。
リュクサンブール公園に置かれているオルセー美術館所蔵作品。

L'Effort / Pierre Roche / Alexandre Bigot / Jardin du Luxembeurg
L’Effort / Pierre Roche / Alexandre Bigot / Jardin du Luxembourg

4月の泉 / ブリニョル・ガリエラ公園

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ガリエラ美術館 Musée Galliera になっているガリエラ宮殿 Palais Galliera の庭園部分はブリニョル・ガリエラ公園 Square Brignole Galliera として開放されている。
<4月の泉 Fontaine de l’Avril(1906)> は象徴主義の彫刻家ピエール・ロシュ Pierre Roche (1855-1922) の作品。被っている大きな帽子は1900年のエスプリを表しているという。

Fontaine de l'Avril / Square Brignole Galliera / Musée Galliera
Fontaine de l’Avril / Square Brignole Galliera / Musée Galliera

16/08/2013

ブールデル美術館のアントレを飾る<Le Fruit>

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Le Fruit, buste et tête avec petite coiffure / Antoine Bourdelle / Musée Bourdelle
Le Fruit, buste et tête avec petite coiffure / Antoine Bourdelle / Musée Bourdelle

モンパルナスにある「ブールデル美術館 Musée Bourdelle」の玄関 entrée に置かれているのはブールデルAntoine Bourdelle (1861-1929) が裸の女性を解剖学的に研究した作品として有名な<Le Fruit (1902-06) >の一つです。庭に置かれているフルーツを持った全身像とは違って、女性の<胴体と小さな髪の頭部 Le Fruit, buste et tête avec petite coiffure (1911)>の彫像です。
力強くて迫力のあるブールデルの作品とは一味異なる優美さが感じられて好きな作品です。

世界最古の自動車 : キュニョーの砲車

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世界初の自動車はルイ15世の治下、大型武器を運ぶ車両の移動に蒸気機関を初めて使用したことに始まる。ニコラ=ジョゼフ・キュニョー Nicolas Joseph Cugnot (1725-1804) が開発した<キュニョーの砲車 Fardier >と呼ばれる高圧ボイラーを搭載した前輪駆動3輪砲車 (1769) がそれだ。
<パリ工芸博物館 Musée des Arts et Métiers>に展示されているのは2号車 (1771) で世界最古の自動車とされている。世界初の自動車事故もブレーキを持たなかった本車が起こした。砲車として実際に使用されることはなかった。

Fardier / Nicolas Joseph Cugnot / Musée des Arts et Métiers
Fardier / Nicolas Joseph Cugnot / Musée des Arts et Métiers

飛行機の先駆け アヴィオン3号 Avion 3

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フランスの航空の先達はクレマン・アデール Clément Ader (1841-1925) 。蒸気機関を動力として初めて飛行機エオール号 Éole を制作した (1882-89) 彼は1890年に離陸に成功。その後、改良型エオール2号、アヴィオン3号 Avion 3を制作した。政府関係者臨席の下で行った飛行実験 (1897) の日は風の強い悪条件だったのだが、離着陸を繰り返しながら数百mを飛行したものの機体が破損して実験飛行は終了した。その結果、政府は支援打ち切りを決定したため彼は研究の継続を断念した。
破損した機体は工芸院 Conservatoire  des arts et métiers で修復・復元され (1903) 、<パリ工芸博物館 Musée des Arts et Métiers>で展示されている。以降、Avion は飛行機 aéroplane を意味するようになった。

Aéroplane de Clément Ader dit "Avion 3 " / Musée des Arts et Métiers
Aéroplane de Clément Ader dit “Avion 3 ” / Musée des Arts et Métiers

ダ・ヴィンチによる岩窟の聖母(ルーヴル美術館)

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注文主に受け取りを拒まれ、ルイ12世の手に渡ったルーブル美術館所蔵の<岩窟の聖母 Vierge aux rochers>。レオナルド・ダ・ヴィンチ Léonard de Vinci (1452-1519)の作品 (1483-86) とあって解釈が多様で定説がないそうだ。

Vierge aux rochers / Léonard de Vinci / Musée du Louvre
Vierge aux rochers / Léonard de Vinci / Musée du Louvre

両者の手のポーズから左が洗礼を受けるキリストで右が祝福する洗礼者ヨハネと思われるのだが、描き直したナショナルギャラリー所蔵の岩窟の聖母で、左が十字の杖 (描き加えられた。人差し指は消された。) を持つヨハネになっていることも理由の一つ。
人差し指でキリストを指すのは天使ガブリエル (翼は殆ど見えないが) とされるが、この人差し指は洗礼者ヨハネのアトリビューソン (属性) 、大人の彼を兼ねているのかも知れない。
また、マリアの左手との不自然な空間に幼児洗礼者ヨハネの頭部を嵌め込むとナイフに見え、斬首された洗礼者ヨハネの最期を描き込んだのではないかとみる説もある。
青の衣のマリアに対し赤のマグダラのマリアを連想させたりもする。
キリストの妻の説に賛同する眼でこの絵を見ると、母マリア、受胎告知の天使ガブリエル、キリスト、洗礼者ヨハネ、妻マグダラのマリアが描き込まれているように見える。

ジャン・コクトーの天を指すキリストの人差し指で、<洗礼者ヨハネの人差し指>を思い出して私説を記した。

画商 デュラン・リュエルが最高価格を付けた<ミレーの羊小屋・月光>

   depuis  2001

オルセー美術館で見れるミレー Jean-François Millet (1814-75) の<羊小屋、月光 Le parc à moutons, clair de lune (vers 1872)>。

Le parc à moutons, clair de lune / Jean-François Millet / Musée d'Orsay
Le parc à moutons, clair de lune / Jean-François Millet / Musée d’Orsay

それより以前に同じ構図で描かれ、ミレーと独占契約をしてミレーを支えていた画商デュラン・リュエル Paul Durand-Ruel が既往最高価格を付けて購入した (1872) <羊小屋 La Bergerie (vers 1856-58) / 羊小屋、月光 The Sheepfold, Moonlight>はボルチモアのウォルターズ美術館 The Walters Art Museum, Baltimore 所蔵だが、リュクサンブール美術館 Le Musée du Luxembourg で開かれていた「ポール・デュラン=リュエル、印象派マネ、モネ、ルノワールの挑戦」(2015) で出会えた。

La Bergerie(vers / Jean-François Millet / The Walters Art Museum
La Bergerie / Jean-François Millet / The Walters Art Museum

クレオパトラの死 / エジプト十字

   depuis  2001

「クレオパトラは王室の衣装を身にまとい黄金のベッドに横たわって亡くなっていて、その足元で召使の一人が死んでおり、もう一人が王冠を正しているところを発見された。」というプルタルコス Plutarque (vers 46-vers 125) の「英雄伝」の記述に基づいて描いている。
リクサン Jean-André Rixens (1846-1924) の作品<La mort de Cléopâtre (1874)>。
イチジクの入った籠はここに蛇がいたことを連想させる。
ベッドのハゲタカがその足で掴んでいるのは エジプト十字 とも呼ばれる「永遠の象徴」であるアンク Ânkh / Croix de vie (生命の十字)  だ。
トゥールーズのオーギュスタン美術館で観れる。

La mort de Cléopâtre / Jean-André Rixens / Croix de vie /  Musée des Augustins / Toulouse
La mort de Cléopâtre / Jean-André Rixens / Croix de vie / Musée des Augustins / Toulouse

貴婦人トゥールーズ Dame Tholose / Colonne Dupuy

   depuis  2001

コロン・デュピュイ Colonne Dupuy のサミットに置かれている彫像はトゥールーズの街のアレゴリー (寓意) であり、また、誇りの象徴でもある、貴婦人トゥールーズ Dame Tholose だ。有翼で、両手に月桂冠を持っている。
元々、旧トゥールーズ市役所(現オフィス・ド・ツーリズム)のサミットの置かれていた (1550) もので、デュピュイの記念柱に移した (1834) 。オリジナルはオーギュスタン美術館 Musée des Augustins にある。

ドミニク・マーティン・デュピュイ Dominique Martin Dupuy (1767-98) はトゥールーズ出身の軍人で、フランス革命時王党派の反乱鎮圧に参加し、イタリア軍の下でロナートの戦い Bataille de Lonato (1796) で戦功を上げる等フランス革命戦争の英雄。ナポレオン Napoleon Bonaparte 指揮下のエジプト遠征  (カイロの反乱 Révolte du Caire )で戦死した。

Dame Tholose / Colonne Dupuy / Place Dominique Martin Dupuy / Toulouse
Dame Tholose / Colonne Dupuy / Place Dominique Martin Dupuy / Toulouse

Place Dominique Martin Dupuy(1829-32)

貴婦人 トゥールーズ / トゥールーズのアレゴリー

   depuis  2001

Dame Tholose / Jean Rancy / Musée des Augustins
Dame Tholose / Jean Rancy / Musée des Augustins

トゥールーズ市 Ville de Toulouse のアレゴリーであり、また、誇りの象徴でもある<貴婦人 トゥールーズ Dame Tolose>はトゥールーズ生まれでフランス・ルネサンスの彫刻家 ジャン・ハンシィ Jean Rancy (1502-78) のブロンズ作品 (1550) 。
旧トゥールーズ市役所(現オフィス・ド・ツーリズム)のサミットに置かれていたもので、デュピュイの記念柱 Colonne Dupuy 建設後にそのサミットに移された (1834) 。鋳型を使った金色の彫像 (コピー) への置き換えに伴い、オリジナルは修復されてオーギュスタン美術館 Musée des Augustins に収蔵された (2005) 。

ヴィジェ・ル=ブランによるクルソール男爵夫人の肖像

   depuis  2001.

マリー・アントワネットの公式女流画家として名高いヴィジェ・ル=ブラン Marie Élisabeth-Louise Vigée Le Brun (1755-1842) が描いた<クルソール男爵夫人の肖像 Portrait de la Baronne de Crussol (1785) >。クルソール家はフランスの古くからの貴族で、夫の Henri Charles Emmanuel de Crussol (1741-1818) は Armée royale française の中将だった。
赤と黒のコントラストに映える美貌の彼女が手にしているのはウイーンの作曲家 クリストフ・ヴィリバルト・グルック Christoph Willibald Gluck (1714-87) がマリー・アントワネット好みに作曲したとされるオペラ「エコーと水仙 Echo et Narcisse」の楽譜。彼は彼女が神聖ローマ帝国 (ハプスブルグ) の皇女だった頃からチェンバロの教師であり、彼女がルイ16世妃となった年 (1774) にパリに移っていた。オペラは1779年に初演された。
トゥールーズのオーギュスタン美術館 Musée des Augustins 所蔵。

Portrait de la Baronne de Crussol / Marie Élisabeth-Louise Vigée Le Brun / Musée des Augustins
Portrait de la Baronne de Crussol / Marie Élisabeth-Louise Vigée Le Brun / Musée des Augustins

ミレーの晩鐘(お告げの祈り)とダリ

   depuis  2001

ミレー Jean-François Millet (1814-75) の<お告げの祈り L’Angélus (entre 1857 et 1859)>はオルセー美術館で見れる。夕刻18時の鐘の音を聞いてお告げ (受胎告知) の祈りをする敬虔な農夫婦を描いたもので、日本では晩鐘で通っている。

L'Angélus / Jean-François Millet / Musée d'Orsay
L’Angélus / Jean-François Millet / Musée d’Orsay

しかし、少年期のサルヴァドール・ダリ Salvador Dali (1904-89) には「この女性がカマキリに、男性の帽子が局部を隠しているように、間に置かれた手籠が子供の棺に見える」という性的恐怖体験があったという。
<ミレーのアンジェルース (建築バージョン)Ángelus arquitectónico de Millet(1933)>(右の絵:マドリッドのソフィア王妃美術館公式ホームページより借用した。左が女性。)や<ミレーのアンジェルース(考古バージョン)の想起 Réminiscence archéologique de l’Angélus de Millet(1935)> と題した作品はその追憶だ。

マドリッドが気に入って、パレスホテルから目の前のプラド美術館やソフィア美術館やプエルタ・デル・ソル等歩き廻った頃が懐かしい。

ブリュッセルの鏡の部屋の思い出 / オットー・ディクス

   depuis  2001

 Erinnerungen an die Spiegelsäle von Brüssel / Otto Dix / Musée National d'Arts Moderne
Erinnerungen an die Spiegelsäle von Brüssel / Otto Dix / Musée National d’Arts Moderne

ダダイスム Dadaïsme 、新即物主義のドイツ人画家 オットー・ディクス Otto Dix (1891-1969) が描いた<ブリュッセルの鏡の部屋の思い出 Erinnerungen an die Spiegelsäle von Brüssel (1920) >。ポンピドーセンターの国立近代美術館 Musée National d’Arts Moderne で鑑賞した。
鏡で6面を囲まれた部屋で有名だったブリュッセルの売春宿、クリスタル・パレスが舞台。フランスのシャンパンを右手に持つ赤ら顔のドイツ人将校の膝に乗るブロンドの売春婦が中心。そして、鏡に映る多方向からの二人。鏡とは無関係に描き加えられた別の二人。ただ、
床面に映っている彼女の陰部だけは見落としてはいけない。

アルベール・マルケによる Les deux Amies

   depuis  2001

この夏、パリの市立近代美術館で開かれていた<アルベール・マルケ展>に行った。
アルベール・マルケ Albert Marquet (1875-1947) は野獣派のアンリ・マチスの生涯の友でセーヌやオンフルール等の風景画で有名だが、一時期 (1910-14) 売春宿で裸体画やレスビアンのイラストを数多く描いた。
<Les deux Amies (1911) 二人の友達>、ロートレックにも同名の複数の作品 (1894、1895) がある。美術評論家・コレクターのジョルジュ・ベッソン George Besson (1882‐1971)  とその妻が寄贈したもので、ブサンソンの Musée des beaux-arts et d’archéologie de Besançon で管理されている。

Les deux Amies  / Albert Marquet / Musée des beaux-arts et d'archéologie de Besançon
Les deux Amies / Albert Marquet / Musée des beaux-arts et d’archéologie de Besançon

ロートレックによる<手袋を持つ女性>

   depuis  2001

La femme aux gants / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée d'Orsay
La femme aux gants / Henri de Toulouse-Lautrec / Musée d’Orsay

<手袋を持つ女性 La femme aux gants (1890) >はトゥールーズ・ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) がモンマルトルのフォレ爺さんの庭 Jardin du père Forest で描いた肖像画の一枚で、印象派的な代表作品。大きな帽子をかぶったエレガントな女性を描いている。

Divan Japonais / Henri de Toulouse-Lautrec
Divan Japonais / Henri de Toulouse-Lautrec

イヴェット・ギルベールYvette Guilbert (1865-1944) が有名になった (1891) カフェ・コンセール Divan Japonais  (日本の長椅子) のポスター<Divan Japonais (1892) >において観客席でイヴェット・ギルベールのショウを観るジャンヌ・アヴリル Jane Avril (1868-1943) のイメージに使われたとされる。

革命を齎したセザンヌのリンゴ / リンゴとオレンジ

  depuis 2001

中央の一個のリンゴから時計回りに視点を変えて描かれた<リンゴとオレンジ Pommes et oranges (vers 1899)>。ポール・セザンヌ Paul Cézanne (1839-1906) がパリのアトリエで描いた。
エミール・ゾラ Émile Zola (1840-1902) がセザンヌとの長年の友情を破綻させたといわれる小説「制作 (作品) L’Œuvre (1886) 」で、セザンヌをモデルにしたクロードに「一本のニンジンが革命を起こす日が来るだろう」と言わせている。リンゴの静物画はセザンヌの一貫したオブジェ (ゾラとの友情のリンゴ) だが、このころからの作品に見るべきものが多く、「一つのリンゴでパリを驚かせたい」との対談記録もあるらしいし、リンゴの画家という人もいたらしい。
平面的なのに立体感と質量感のある筆致はゴーギャン、ベルナール、マチス等に影響を与えたと思われ、多視点からくる歪み déformation の表現はキュビスムに受け継がれた。
「抽象化の父」とも「近代絵画の父」とも呼ばれる。   オルセー美術館所蔵。

Pommes et oranges / Paul Cézanne / Musée d'Orsay
Pommes et oranges / Paul Cézanne / Musée d’Orsay

ダリ Dali が ガラ Gala に捧げた<ウイリアム・テル>

   depuis  2001

ダリ Salvador Dali (1904-89)の作品<ウイリアム・テル>は、冒涜的作品とされた「聖心の発表」と「ガラとの不倫」に激怒して勘当した父親への復讐として制作した (1930) とされる。
頭に乗せたリンゴを射ることで息子の命を危険にさらしたスイスの英雄を、息子の人生に侵入してきた人妻に激しく反対し、去勢コンプレックスを引き起こした父親に重ねた。

Guillaume Tell / Salvador Dali / Musée National d'Art Moderne
Guillaume Tell / Salvador Dali / Musée National d’Art Moderne

つまり、息子が惚れ込んだ人妻ガラ Gala の性的魅力と息子ダリの欲望をコントロールしようとする父親としての強い意志を持つ父親をウイリアム・テル Guillaume Tell ( 左足脛に表記:写真では解読できないが) で表現。ピアノでロッシーニ作の歌劇 ウイリアム・テルを暗示、演奏者はライオンである父。
ウイリアム・テルが石碑を膝で押さえ、鋏を持ち (去勢) 父親らしさ (男根) を見せびらかせていて、石碑 (墓碑) にはガラと切り取ろうとしているダリの男根を描いている。
ピアノの上を飛ぶウマとピアノの上で腐敗したロバはエロスとタナトス (ギリシャ神話では、エロスは愛の神。 タナトスは死の擬人化。) で、腐敗はダリの中心概念 (作品:腐ったロバ L’âne pourri (1928) ) だった。
水の流れは生命を表し、去勢を象徴する鋏との距離が近い。壊れ易さ、誕生、生殖を表す卵とダリの局部を隠す小枝と葉との距離も近い。以上は、個人的解釈で定説ではない。ダリとガラは1934年に結婚した。

シュルレアリズム (1924) に傾倒し、その祖アンドレ・ブルトンAndré Breton (1896 -1966 ) 門下に入った (1929) 直後の作品 (1930) で、アンドレ・ブルトンが購入、秘蔵していたもの。ガラに捧ぐ a Gala / Salvador Dali 1930 の署名がある。パリ国立近代美術館所蔵。

アントワーヌ=ルイ・バリーによるナポレオン1世の騎馬像

   depuis  2001

ナポレオンの生誕地コルシカ島のアジャクシオ Ajaccio のド・ゴール将軍広場にある<ナポレオン1世と4人の兄弟の記念碑>の中央に置かれているナポレオンの騎馬像の1/2石膏モデル。
ローマ皇帝に扮して月桂の皇帝冠を被り、古代ローマ人の着用した1枚布の上着トガ Toga を纏い、(写っていないが) 右手に世界の球/地球を携えている。オルセー美術館所蔵。
4人兄弟 Josepf,Lucien,Louis,Jérôme の末弟でナポレオンに可愛がられたが、結婚を認められなかったジェローム・ボナパルトとエリザベス・パターソンとの間の息子ジェローム・ナポレオン (1805-70) によってナポレオン3世 (ルイの3男) の治政下に建立された (1865) 。
アントワーヌ=ルイ・バリー Antoine Louis Barye (1795-1975) は動物彫刻家。

Napoléon 1er à cheval / Musée d'Orsay
Napoléon 1er à cheval / Musée d’Orsay

マネを擁護したゾラ / マネと日本画 : オルセー美術館

   depuis  2001

Émile Zola / Édouard Manet / Musée d'Orsay
Émile Zola / Édouard Manet / Musée d’Orsay

ドレフュス事件で<我弾劾す J’accuse (1898) >によってドレフュスを弁護したエミール・ゾラ Émile Zola (1840-1902) はマネ Édouard Manet (1832-83) の擁護でも知られる。少年時代の友人セザンヌの才能を見抜き、伝統的な勢力に反発していた彼は後にマネの代表作となる<草上の昼食 (1862) >や<オランピア (1863) >を擁護し続けた。<Émile Zola (1868) >はマネがそれに対する感謝を込めて描いたゾラの肖像画とされる。
マネのアトリエのテーブルにはフェザーペンやインクツボ等ゾラを象徴する小道具と共にマネを擁護した冊子「Manet」(1867) が置かれている。
右上の壁にはマネによる「オランピア」のリトグラフが2世歌川国明による版画「大鳴門灘右衛門」(1860)と(マネが絶賛していた)ベラスケスによる「バッカスの勝利 (1629) 」のエッチングの前に置かれている。
また、左には琳派のものらしい屏風が見え、奥行きがなく平面的で、色使いの限られた日本画 (版画を含め) がマネに与えた影響の大きさを伺える。
なお、ゾラの手にしている書物はマネが度々相談にのって、シャルル・ブラン Charles Blanc (1813-82) が著した「画家たちの歴史」であろうとされている。

 

ルイ14世の立像 / カルナヴァレ美術館

   depuis  2001

マレ地区のカルナヴァレ美術館 Musée Carnavalet の中庭に置かれている<ルイ14世の立像>。

ルイ14世を招待したパリ市主催の祝宴 (30 janvier 1687) を記念して、コワズヴォ Antoine Coysevox (1640-1720) に制作依頼し市庁舎に置かれた (14 Juillet 1689) もの。丁度100年後のフランス革命で被害を受けなかった作品の一つ。ローマ皇帝の胸当てとレギンスを着用している。
背後の「四季の寓意像」の修復工事が終わって初めて今夏お目にかかった。

ヴェルサイユ宮殿「戦争の間」の<勝ち誇るローマ皇帝に扮したルイ14世> (1715)

Statue de Louis XIV / Musée Carnavalet
Statue de Louis XIV / Musée Carnavalet

デュフィの間 Salle Dufy / パリ市立近代美術館

   depuis  2001

パリ市立近代美術館 Musée d’art moderne de la ville de Paris へ行って、初めてデュフィの間 Salle Dufy を見学しました。パリ万博の電気館のためにラウル・デュフィ Raoul Dufy (1877-1953) が描いた (1937) 巨大作品<電気の精 La Fée Électricité >で部屋の3方が取り囲まれています。ディナーやカクテルに使用される部屋のようです。

La Fée Électricité / Salle Dufy / Musée d'art moderne de la ville de Paris
La Fée Électricité / Salle Dufy / Musée d’art moderne de la ville de Paris

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パリの鉄柵 Grille 4-2 金色のヴェルサイユ宮殿

   depuis  2001

休館日の月曜日 (8月1日) 、3年ぶりにヴェルサイユ宮殿 Château de Versailles を訪ねてみた。
サン=ラザールに出たついでに SNCF L 線、Versailles – Rive Droite 行きに乗車、Gare de Versailles Château Rive Gauche 行きのバスに乗り換えて宮殿前で下車した。

Château de Versailles
Château de Versailles

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参考

パリの鉄柵 Grille 4 王の紋章 / ヴェルサイユ宮殿

宮殿の前庭と中庭を隔てる鉄柵。

中央門扉の頭部にフランスの国花である百合の紋章が付いている 王冠 La couronne royale fleurdelisée を乗せた盾 (シールド) には3本の百合の花が見て取れる。
二重のネックレスには聖霊勲章がぶら下がっている。
聖霊勲章はマルタの十字 Croix de Malte (聖ヨハネ騎士団) をベースに羽を広げた下向きの鳩と4つの王の紋章フルール・ド・リスを加えたデザイン。

アンリ3世の1578年から1792年まで (盾部分はシャルル5世の1376年以来) の間、国王の紋章として使われてきた。

門柱の両サイドには、頂部に「王冠」、下部に「百合」を乗せた盾を分離して置いて、その間にルイ14世のモノグラムである 「ダブル L 」と 「アポロン (ルイ14世) 」を配している。
<是非画像をクリックしてください。>

また、槍仕立ての鉄柵には一つ置きに「百合の花」を頭部に載せている。

そして、門扉の四隅と門柱の上部には太陽王の愛した「ひまわりの花」を見ることができる。

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レンブラントの全身自画像とバルビー Barbet

   depuis  2001

Portrait de l'artiste en costume oriental / Rembrandt van Rijn / Musée du Petit Palais
Portrait de l’artiste en costume oriental / Rembrandt van Rijn / Musée du Petit Palais

レンブラント Rembrandt van Rijn (1606-1669) の自画像は80点に及ぶそうだが、全身を描いた<東洋の衣装を着た自画像 Portrait de l’artiste en costume oriental (1631)>は珍しい。
しかし、足元が気に入らなくて後にイヌで隠したとされる。プチ・パレ美術館所蔵。
この犬はフランス原産のウォータードッグ犬種の<バルビー Barbet>。水かきが付いていて泳ぎが得意。フレンチ・ウォーター・ドッグとも言いプードルの先祖。コートの手入れ(ブラッシング)が大変らしい。
左にはローマ風兜もあり不自然さが目立つ。

<雄猿を連れた女>と<ジャンヌ・アダンの肖像>

   depuis  2001

La Femme au singe / Portrait de Jane Hading / Musée du Petit Palais
La Femme au singe / Portrait de Jane Hading / Musée du Petit Palais

プチ・パレ美術館に入って何時もインパクトを受ける彫像のもう一つが<雄猿を連れた女 La Femme au singe (1908)>、Camille Alaphilippe (1874-1934) の作品だ。猿と女性の頭部、手はブロンズで他は砂岩、レンガの台に乗っている。

後方はベル・エポックの時代に活躍した歌手で女優の<ジャンヌ・アダンの肖像 Portrait de Jane Hading (1890)>、Alfred Roll (1846-1919) の作品。部屋には屏風が置かれていてジャポニズムの痕跡を示す。

アントニン・メルシエ Antonin Mercié (1845-1916)作<敗者の栄光 Gloria Victis ( Gloire aux Vaincus )>(1875)

敗者の栄光 / プチ・パレ美術館

   depuis  2001

Gloria Victis ( Gloire aux Vaincus ) / Musée du Petit Palais
Gloria Victis ( Gloire aux Vaincus ) / Musée du Petit Palais

トゥールーズにある<ジャンヌ・ダルクの騎馬像>の制作者であるトゥールーズ生まれの彫刻家アントニン・メルシエ Antonin Mercié (1845-1916)作<敗者の栄光 Gloria Victis ( Gloire aux Vaincus )>(1875)が「プチ・パレ美術館 Musée du Petit Palais 」のエントランス中央に置かれている。
ナポレオン三世が敗れた普仏戦争(1870-71)で犠牲となった兵士を称える彫像。
有翼の女神が折れた剣を右手に持つ兵士を抱きかかえ天に昇らんとするその足元にはオリーブの小枝とフクロウが。
女神はギリシャ神話のペーメ/レノメー(名声・栄光)を寓意し、フクロウは戦争の女神アテナ神の知恵、オリーブの小枝は平和を象徴している。

パリの建物 25  オランジュリー美術館

   depuis  2001

チュイルリー公園の北側テラスの<ジュ・ド・ポーム Jeu de Paume>と対をなして南側テラス Terrasse de l’Orangerie に置かれたオランジュリー美術館 Musée de l’Orangerie 。

ナポレオン3世の第二帝政下 (1852) に公園のオレンジの木を冬場に収納する温室 / オランジュリーとして建設されたことにその名を由来する。従って、見えている北面には窓がない。

コンコルド広場のレヴェルに置かれた彫像はヘンリー・ムーア Henry Spencer Moore (1898-1986) のブロンズ作品 Figure couché / Reclining Figure (1951) 。オランジュリー美術館で展示会開催 (1977) 。

Musée de l'Orangerie / Terrasse de l'Orangerie / Jardin des Tuileries
Musée de l’Orangerie / Terrasse de l’Orangerie / Jardin des Tuileries

パリの建物 24  ジュ・ド・ポーム Jeu de Paume

   depuis  2001

チュイルリー公園西端のテラス上に、コンコルド広場に面して<オランジュリー美術館>と<ジュ・ド・ポーム美術館 (1909) >とが南北に対に配置されている。
「手のひらの遊び / 競技 Jeu de Paume 」はローン・テニスの先祖で、この建物の建設時 (ナポレオン3世による第2帝政下) はジュ・ド・ポームの屋内競技場 (1861) だったのでその名がある。初めてパリを訪れた時の<印象派美術館 (1947-86) >はこの建物だったので印象は強い。

庭に置かれている彫像はアンフォルメル (非定型) Art informel の先駆者とされる
ジャン・デュビュフェ Jean Dubuffet (1901-85) の作品 Le Bel costumé (1973/1998) 。

 Jeu de Paume / Terrasse du Jeu de Paume / Jardin des Tuileries
Jeu de Paume / Terrasse du Jeu de Paume / Jardin des Tuileries

エッフェル塔百態 126  テラス・デュ・ボール・ド・ロー

   depuis  2001

チュイルリー公園のセーヌ川右岸堤は<水際のテラス (テラス・デュ・ボール・ド・ロー) Terrasse du Bord de l’Eau>と呼ばれていて、セーヌ河畔を見下ろせる。

左の建物がオルセー美術館で右にレジョン・ドヌール宮、二本の尖塔がサント=クロチルド教会 Basilique Sainte-Clotilde 、そしてエッフェル塔。着船しているクルーザーは Marina de Paris で、ランチやディナーを楽しめる。冬場ならではの風景だ。パリ1区からパリ7区を見ている。

Tour Eiffel / Terrasse du Bord de l'Eau / Musée d'Orsay / Palais de la Légion d'Honneur / Basilique Sainte-Clotilde / Marina de Paris
Tour Eiffel / Terrasse du Bord de l’Eau / Musée d’Orsay / Palais de la Légion d’Honneur / Basilique Sainte-Clotilde / Marina de Paris

エッフェル塔百態 125  ケ・ブランリ美術館

ケ・ブランリ河岸沿いのセーヌ川堤防遊歩道からケ・ブランリ美術館越しのエッフェル塔。ケ・ブランリー美術館 はシラク肝煎りの美術館として開設 (2006) されてから今年で早や10周年だ。

Tour Eiffel / Musée du quai Branly
Tour Eiffel / Musée du quai Branly

勝利の女神 ニケ/サモトラケのニケ

   depuis  2001.

サモトラケのニケ Victoire de Samothrace はルーヴル美術館の至宝の一つ。
戦艦の船首 / ロストラ Rostra に乗った<勝利の女神 ニケ>の石像だ。

Victoire de Samothrace / Musée du Louvre
Victoire de Samothrace / Musée du Louvre

ギリシャ・ヘレニズム期 (vers BC220-185) の作で、サモトラケ島で発掘され (1863) 復元されたもの。

船首の下部が破壊されているが、ここに戦闘時の体当たり攻撃用武器である衝角 éperon が突き出ていた。
この船首部分が吻側 (ふんそく)  rostrale である。

ニケ (ニーケ) Niké はギリシャ神話で勝利の女神、ローマ神話ではヴィクトーリア Victoire。

2010.12.05.

ランスでエルサレム王国の紋章 / ランス美術館

   depuis  2001

ランスは王達の町 la cité des rois、戴冠の町 la cité des sacres と呼ばれるシャンパンの町です。シャンパーニュ地方の中心地です。リヨンからケルンに至るローマ街道の大幹線が通っていたこともあって古くから開けた町です。

Armes du royaume de Jérusalem / Croix de Jérusalem / Croix de Lorraine / Musée des Beaux-Arts de la ville de Reim
Armes du royaume de Jérusalem / Croix de Jérusalem / Croix de Lorraine / Musée des Beaux-Arts de la ville de Reim

シャンパーニュ伯が領主だった (967~1022-1314) 時期、シャンパーニュ伯アンリ2世 Henri de Champagne (1181-97) が第3回十字軍に参加し、エルサレム王国の国王 (1192-97) を兼ねることになりました。

第1回十字軍に参加し、実質上の最初のエルサレム国王 (聖墓守護者) となったゴドフロワ・ド・ブイヨンGodefroy de Bouillon (1058-1100) はロレーヌ公でした。

ロレーヌの十字は「名ばかりのエルサレム公」(1430-80) だったルネ・ダンジュー René d’Anjou (1409-1480) がロレーヌ公 (1431-53) のシンボルとして使い始めた (1431) とされています。

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ランス美術館は9世紀に建設の始まったサンドニ修道院に遡る古い建物です。ここで、ロレーヌの十字を載せたエルサレム王国の紋章を見ることができます。Croix potencée (強力な十字) を5つ組み合わせています。エルサレムの十字 Croix de Jérusalem と呼ばれています。王国は1099-1291の間存在しました。

イヴェット・ギルベール の メダル

   depuis  2001

Yvette Guilbert / Henry Nocq / Musée d'Orsay
Yvette Guilbert / Henry Nocq / Musée d’Orsay

ロートレックお気に入りの歌手イヴェット・ギルベール Yvette Guilbert (1865-1944) のメダイヨンmédaillon (1893) です。楽譜が入っています。
アンリ・ノッキ Henry Nocq (1868-1944) が Emile Muller et Compagnie で作った多色陶磁器で、オーク材で縁取りされています。
オルセー美術館所蔵ですが、プチ・パレ美術館で観ました。

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ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) のデフォルメがきつく、これ (右図) を拒否、スタンラン Steinlen に依頼し直したため、幻となったポスターの下書き(木炭画・1894) がアルビのトゥールーズ=ロートレック美術館 Musée Toulouse-Lautrec に残っています。黒の長手袋を着けています。
イヴェット・ギルベールがカフェ・コンセール Café-concert のアンバサドゥール Ambssadeurs に出演した際のポスター用でした。
リトグラフでは、下のスカートの部分に Yvette Guilbert と入れるつもりだったのでしょう。

ロートレックを魅了した女性

   depuis  2001

ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) がセーヌ河口のル・アーヴル Le Havre からボルドーまでの船旅 (1895) で乗り合わせたダカール行きの人妻です。リスボンまで同行してしまったそうです。友人がいなければ、ダカールまで行きそうだったと伝えられています。

プリュム誌 La Plume (1889) の創刊者、レオン・デシャン Léon Deschamps (1864-99) がボナパルト通りに開設した「サロン・デ・サン Salon des Cent 」で催した「国際ポスター展」の宣伝ポスターに彼女を描きました<Salon des Cent , La passagère du 54 (1896)>。作品名を54号室の女性船客と名付けています。本を手にしています。
ロートレックの写真を多数撮った友人モーリス・ギベール Maurice Guibert (1856-1913) との旅でした。
“トゥールーズ=ロートレック 断然モダン展” で観たものに置き換えました。

アンリ3世と聖霊勲章 Ordre du Saint-Esprit

   depuis  2001

ユグノーとカソリックとの宗教戦争の最中、アンリ3世が創設した (1578-1830) 聖霊の騎士団の勲章授与式の様子 (ルイ13世:1633) を描いたものです。
王族、枢機卿、貴族等の他ブルジョアにも、従来より門戸を広げてカソリックの団結を図ったものです。

ロングヴィル公であるオルレアンのアンリがルイ13世に忠誠を誓って聖霊勲章を受け取ろうとしています。Philippe de Champaigne (1602-74) の作品 (1634) です。
トゥールーズのオーギュスタン美術館で観れます。

聖霊勲章はマルタの十字 Croix de Malte (聖ヨハネ騎士団) をベースに羽を広げた下向きの鳩と4つの王の紋章 : フルール・ド・リスを加えたデザインです。

ルイ13世の頭上に、後光に包まれた鳩が象徴的に描かれています。枢機卿・首相等を含む5名とも勲章を着けていて、祭壇には (鳩を見せずに) 勲章の一部を描いています。

Ordre du Saint-Esprit / Henri II (roi de France) / Musée des Augustins
Ordre du Saint-Esprit / Henri Ⅲ (roi de France) / Musée des Augustins

フランス領ギアナの

オランジュリー Orangerie / リュクサンブール公園

   depuis  2001

甘いオレンジを東方貿易のポルトガルが独占している中、フランスではシャルル8世 (在位 : 1483-98) がアンボワーズ城に初めてオランジュリー (オレンジ温室) Orangerie を建設したとされています。アンリ4世・ルイ13世はテュイルリー宮 (1617・1853 改築 / 現オランジュリー美術館) に、ルイ14世はヴェルサイユ宮殿 (1684-86) に建造しました。
いずれも王室用にオレンジ等を栽培するためのもので、当時最大規模の温室でした。

Orangerie / Jardin du Luxembourg
Orangerie / Jardin du Luxembourg

写真はリュクサンブール公園 Jardin du Luxembourg にある、リュクサンブール宮のオランジュリーとして建築された (1839) 建物ですが、1884からリュクサンブール美術館になりました。
この日2015.08.02.は入場無料 (入り口が見えています) の展示場として使用されていました。
復古王政期の建築家 Alphonse de Gisors (1796-1886) の作品です。

ゴッホとゴーギャンが訪れたファーブル美術館          モンペリエ

   depuis  2001

アルルで共同生活を送っていたゴッホ Vincent van Gogh (1853-90)とゴーギャンPaul Gauguin (1848-1903) が連れ立って訪れたモンペリエ Montpellier にある<ファーブル美術館 Musée Fabre (1828)>です。左の建物に Musée Fabre と刻まれています。

ゴッホはドラクロワ Eugène Delacroix (1798-1863) 作のルーブル美術館所蔵 Femmes d’Alger dans leur appartement (1834) の別ヴァージョン、<アルジェーの女たち Femmes d’Alger dans leur intérieur (1849)>に深い感銘を受けたといいます。

ゴッホの耳きり事件はアルル Arles に戻って3日後に起こりました。

<ナポリ絵画の黄金時代>と題した企画展が行われていましたが、
今回は時間がありませんでした。      2015.07.19.

Musée Fabre / Montpellier
Musée Fabre / Montpellier

<アルジェーの女たち Femmes d’Alger dans leur intérieur (1849)>
Eugène Delacroix (1798-1863)

アルルでのゴッホの家 / 黄色い家

   depuis  2001

フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent van Gogh (1853-90) がアルル Arles に滞在したときに住んだ家 (1888.05.~1889.04.) を描きました。1階 (日本の2階) の連続した2室を借りていて、ゴーギャンが滞在中 (1888.10.-12.) は隣り合せで居ました。現存していません。
アムステルダムの<ゴッホ美術館 Musée Van Gogh>所蔵の<黄色い家 La maison jaune (La maison de Vincent à Arles) (1888)>です。高架を走る蒸気機関車を描きこんでいます。

二人は耳きり事件 (1888.12.23.) の直前、この鉄道を使って、モンペリエ Montpellier の<ファーブル美術館 Musée Fabre >を訪れています。ゴッホはドラクロワ作のルーブル美術館所蔵 Femmes d’Alger dans leur appartement (1834) の別ヴァージョン<アルジェーの女たち Femmes d’Alger dans leur intérieur (1849)>に深い感銘を受けたといいます。

La maison jaune (La maison de Vincent à Arles) / Vincent van Gogh / Musée Van Gogh / Amsterdam
La maison jaune (La maison de Vincent à Arles) / Vincent van Gogh / Musée Van Gogh / Amsterdam

< マリー・ド・メディシの生涯 > ルーベンス

   depuis  2001

ルーヴル美術館「ルーベンス Peter Paul Rubens (1577-1640) の間」にある< マリー・ド・メディシ (ス) の生涯 Cycle de Marie de Médicis (1622-25)>全24点の内の3点です。

左から<結婚式で指輪を着けて貰うマリー Epousailles de la reine ou Réception de l’anneau>
<マリーのマルセイユ上陸 Débarquement de la reine à Marseille>
<アンリ4世とマリーのリヨンでの対面 Rencontre du roi et de la reine à Lyon>です。

フィレンツェでの婚姻の儀 (1600.10.05) にアンリ4世は行っていませんが、ルーベンスは参加していました (新婦の背後で十字架を持っています) 。
トーチを持ちバラの冠を着けた縁結びの神ヒメネーが王妃の裾を持ち上げています。

マルセイユでは王のローブをまとった騎士 (フランス国を寓意) が出迎え、トランペットを持ったレノメー Renommée が上陸 (入国) を国民に伝えています。
左にはメディチ家の紋章、右にはフランス王のフルール・ド・リスもみえます。

銀ライオンが紋章のリヨンに到着して、ローマ神話で主神のジュピテルとジュノンの姿で両者が初めて対面しています。間にはヒメネー Hyménée が居ます。
主役の位置である左にジュノンの聖鳥である (つがいの) 孔雀が描かれています。右の足元にはジュピテルの聖鳥である鷲を描いています。

Cycle de Marie de Médicis / Peter Paul Rubens / Musée du Louvre
Cycle de Marie de Médicis / Peter Paul Rubens / Musée du Louvre

Chrisme / キリストのモノグラム

   depuis  2001

サン・シュルピス教会の主塔に見られるキリストのモノグラム XP は既に紹介しました。

この度のトゥールーズへの小旅行で、オーギュスタン美術館において展示のあった三点のクリズム Chrisme の内の一つです。壁はトゥールーズの赤レンガ (風) です。

XPS はキリスト/クリストゥス Christus のモノグラムで、
ギリシャ文字での XPIΣTOΣ / χριστός の最初の2文字と最後の1文字 ς を連ねたものです。
アルファA とオメガω は黙示録にあるキリストの言葉、始まりと終わりを表し、
やはり、キリストを象徴しています。
十字架ともローマのトロフィーともとれるXにペンダントのように吊るされています。
そして、Chrisme は二人の天使によって支えられています。

Chrisme / Musée des Augustins / Toulouse
Chrisme / Musée des Augustins / Toulouse

ヴァンセンヌ焼 リモージュにて 2

   depuis  2001

<青色と金色で装飾したバター入れ (皿) Beurrier à décoré blue et or (vers 1750)>です。
軟質磁器  Porcelaine tendre ですが、見た目は目標のマイセンに似ています。

リモージュの<国立磁器博物館 Musée natinal de la porcelaine Adrien-Dubouché>で展示されているヴァンセンヌ城内の工場で生産されたヴァンセンヌ焼き(1738-56)の一つです。

ルーヴル美術館に遺贈されたティエール・コレクション Collection Thiers の一点です。

Beurrier à décoré blue et or / Musée national de la porcelaine Adrien-Dubouché / Limoges
Beurrier à décoré blue et or / Musée national de la porcelaine Adrien-Dubouché / Limoges

闘鶏の勝者 / アレクサンドル・ファルギエール

   depuis  2001

Vainqueur au combat de coqs / Alexandre Falguière / Musée des Augustins / Toulouse
Vainqueur au combat de coqs / Alexandre Falguière / Musée des Augustins / Toulouse

トゥールーズ生まれの彫刻家アレクサンドル・ファルギエール Alexandre Falguière (1831-1900) の作品<闘鶏の勝者 Vainqueur au combat de coqs (1864)>で、オーギュスタン美術館 Musée des Augustins が1868年に取得しました。

オルセー美術館にもあり、また、前庭にある<アジアの像 L’Asie (1878)>も彼の作品です。
左から2体目です。

ヴァンセンヌ焼 リモージュにて

   depuis  2001

<ルリエフで装飾したヴァ―ズ Vase à décor en relief (1745)>、七宝のレリーフで装飾された軟質磁器  Porcelaine tendre の壺だ。

底には恐らく、この年に特権として印字を認められた
<ルイ15世の筆記体のダブルL の中央にドット>が付いているはずだ。

ルイ15世の庇護のもと、ヴァンセンヌ窯が創設 (1738) されてから7年目の作品。硬質磁器に欠かせないカオリンがリモージュで発見されるのは1766年 (生産は1796) だ。

リモージュの<国立磁器博物館 Musée national de la porcelaine Adrien-Dubouché>にはヴァンセンヌ城内の工場で生産された多数の作品が展示されている。

Vase à décor en relief / Musée national de la porcelaine Adrien-Dubouché / Limoges
Vase à décor en relief / Musée national de la porcelaine Adrien-Dubouché / Limoges